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「徒然草」に学ぶ福祉の心

 日本の社会福祉の源流はどこにあるのだろうか。私が3月まで施設長を務めた愛知育児院は明治19年に創設された。ふたりの創設者の森井清八と荒谷性顕が愛知育児院を創ろうとしたきっかけは、日本の歴史を学ぶ中で、かの聖徳太子が大阪に四天王寺を建立した際、寺内に施薬院・療病院・悲田院・敬田院を設立し、国家の困窮無告の民を救済しようとしたという記述を読んだことがきっかけであった。1300年以上も昔にそのような慈悲仁愛なる事業を設けた聖徳太子の偉業に深い感銘を受けた森井と荒谷は、このことが育児院設立への端緒となったと述べている。

 聖徳太子の四箇院設立はあくまでも伝承であり、日本史の記録上の最古は、養老7(723)年、皇太子妃時代の光明皇后(東大寺を建立した聖武天皇の皇后)が興福寺に施薬院と悲田院を設置したとの記述(『扶桑略記』)である。日本では、昔から、仏教の慈善思想に基づき、このような福祉施設が設立されたのだ。

 鎌倉時代に吉田兼好によって書かれた『徒然草』の123段には、福祉の根本思想を示す次のような件(くだり)がある。原典と現代語訳は以下の通りである。
「(中略)思ふべし、人の身に止むことを得ずして営む所、第一に食ふ物、第二に着る物、第三に居る所なり。 人間の大事、この三つには過ぎず。餓ゑず、寒からず、風雨に侵されずして、閑かに過すを楽しびとす。ただし、人皆病あり。病に冒されぬれば、その愁忍び難し。医療を忘るべからず。薬を加へて、四つの事、求め得ざるを貧しとす。この四つ、欠けざるを富めりとす。この四つの外を求め営むを奢りとす。四つの事倹約ならば、誰の人か足らずとせん。」(原典)
「考えてみるといい、人間にとって絶対に必要とされるもの、第一に食べる物、第二に着る物、第三に住む場所である。人間にとって大事なのは、この3つに過ぎない。餓えなくて、寒くなくて、雨風がしのげる家があるならば、後は閑かに楽しく過ごせば良いのだ。ただし、人には病気がある。病気に罹ってしまうと、その辛さは堪え難いものだ。だから医療を忘れてはならない。衣食住に医療と薬を加えた四つの事を求めても得られない者を貧しいとする。この四つが欠けてない者を富んでいるとする。それ以上のことを望むのは、奢りである。四つの事でつつましく満足するなら、いったい誰が生きるのに不自由を感じることがあろうか。」(現代語訳)

 吉田兼好は、衣食住ならびに健康の4点が保障されていない状態を「貧困」と定義し、この4点が満たされているのにそれ以上を求めることを「人間の奢り」と戒めている。地球規模で考えれば、この4点が十分でない事例があまりにも多く存在する。日本の子どもたちに限定して考えても、貧困がゆえに学校給食がその日の唯一の食事という子ども、虐待やいじめで苦しんでいる子ども、適切な医療行為を受けられない子ども、将来に絶望して自死を選択してしまう子どもがたくさんいる。しかも、わが国では年々子どもの出生数が減っていっている。子育てがしにくい、子どもが未来に希望を持って生きるのが難しい国になってしまっているのではないだろうか。
 子どもの人権に関わる仕事に就いている身としては、日本の歴史と古典文学に福祉の原点を再確認した上で、私たち大人の子どもたちへの関わり方が、子どもたち一人ひとりの福祉、そして豊かな成長に叶うものとなるよう、これからも努力を重ねていきたい。

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