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自分の気持ちに正直に生きるということ

私たちは、ウルトラマンでもスーパーマンでもない。

日々、生活をしていると感じることが増えてきた。

それは一時期、やめていた人と会う事を再開したからだと思う。

放送や露出されたものの側面だけをみて連絡をくださる事が増えているということだ。

助けるという事は、どういう事なのか、守るという事はどういう事なのか、

聞こえは良いが、結局は人にとって自分がどうあるべきかという事を表現する一つの手段にしか過ぎないと思う。

自分で汗をかいていた20代、脳みそに汗をかいていた30代、そして、人と共に汗をかこうと決めていた40代が始まった。

遠い景色の中にある、未完成の施設を見ているとふと感じる事がある。

あの施設をどういう感情で作り上げていくのか、自分がそこで何を表現するのか、人助けや、思いやり以外の、本当の自分のやりがいをどう表現するのかと、考えていると、どこかワクワクしながらも本当に生きていくことへの挑戦をするべきなのではないかと、気付かされる。

同年代でも、自分でしっかり立ち上がり、表現をしている仲間が多い。ただ単純な憧れに近い、もしかしたら、嫉妬や願望だったのかもしれないが。人の事、自分との対比というのが毎年なくなり、人に興味がないというのと、紙一重のところに来た気もどこかする。

仕事としての関わり、人としての関わりで言えば、本当の友達というのが、出来た、いや出来てきた気がする。一方的な感情かもしれないが、年齢などを気にしないで話せる仲間が確実にいる。

しかし、それは東京以外だ。

一度きりの人生の中で、強固なおりの中で、羽ばたく事をやめた瞬間に、なんでもない、工業製品にただただ毎日に消耗される毎日になるのではないかと感じる。

羽ばたきをやめたら、筋力がおち、歩みを止めたら、進む勇気を失うのではないかと思う。

だから進む。より困難な道へ。

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