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私って何?


冷涼をもたらす風鈴の音色。電力不足の中で少しでも栄養と快適さを求める人々。暑い夏がやってきた。

夏は塩分が不足する。だからであろう。行き交う人々は陳列棚に並ぶ私を求め、頻繁に手に取り吟味する。だが、幾度も品定めされるのにも関わらず取り残される仲間もいる。私も取り残されたそんな一人である。

仕事帰りであろうか。清潔感がある制服を着た男性が私を触り、じっくりと見定めを始めた。今度こそ私はその人の手に渡るのかなと期待した。何度も、何度も私を見つめ触りラベルを見返す男性。でも、最終的に棚に戻し、その場を去っていった。

その時、私の洋服であるビニール袋から自家製秘伝のタレが徐々に漏れだしていることに気付いた。タレは漏れ続け、しまいには私の体はビニールのみになってしまった。その瞬間、私は価値を失い、もう誰かの口に運ばれることなく廃棄されることを予見した。

周囲を見回した。残念だが、商品として棚に取り残されたきゅうりの一夜漬けは私だけだった。もうじき専務が売れ残った私を下げにくる時間帯である。

ショバ代を払う生産者が次々と売れ残りの私たちを引きあげていく。私はどうなるのだろう? 専務はどんな対応を取るのだろう。罵声を浴びせ、捨ててしまうかもしれない。でも、仕方がない。売上をあげる。それが商品である私たちの役目なのだから……。

極論すれば、私たちは生まれた時から人間に食べられる運命。だから、私は人間に消費されるということは食べられても捨てられても同じ。だったら、より高価なお皿の上で人間に食べられ、その生活を少しでも支えたという自負を持ってあの世へ行った方が良い、行ってみせる、と思っていた。よって、陳列棚の先頭に並べられた時、最初に手に取ってもらえる。売れ残ることはない、どんな人の手に渡るのだろう、と希望に胸を膨らませた。

初夏の日差しが暑いのだろう。専務は汗をかきつつ、お世話になります、と周囲の人に笑顔を振りまきながらやってきた。

いつものようにトレードマークの中川漬物の汗が染みついたキャップを被っている専務。

専務はじっくりと棚を見回し、私と目が合った。きっと、私を見て失望しているのだろう。

専務は言った。

「お疲れ様。ありがとう。頑張ったね」

 私は耳を疑った。専務の言っている言葉の意味がわからなかった。売れ残ったのは私だけで、商品として利益をもたらさなかったのは私だけ。しかも、ビニールからタレが漏れ再起不能で価値はゼロ。でも、そんな使えない私に対して、専務は感謝の弁を述べてくれた。

 会社に戻るやいなや私はその場で捨てられるかな、と思い込んでいた。でも、専務は私を袋に入れ、社長の所へ持って行った。

 社長と専務は一口ずつ口に運んだ。

 社長は更に一口頬張った。

「気温が上がっているのかな。だから、もう少し塩分を足そう。でも、こうビニールが破けるくらいうちの商品に触ってくれるお客様がいる。本当にありがたい」

「本当ですね。ところで、塩分の話です。ご意見はごもっともですが、気温はまだ一定になっていません。明日は気温が下がるとの天気予報がでています。もう少し、この塩分でいきませんか?」

「確かにそれは一理あるな。現場に任せるよ。いつもありがとう」

 二人のやり取りを聞き、ビニール袋が敗れた私の生きた意義を知ることができた。また、気温等の条件を考え、この時期に合ったより良い漬物の製造を目指している研究熱心な二人の態度に胸をうたれた。

 専務は大切そうに私をみつめ言った。

「ありがとうございます。工場長には伝え、現状把握を努めます」

 専務は真っ白な作業着に身を包み懸命に働く生え抜きでかつベテランの工場長に、一回食べて塩分濃度を確認して欲しい、と謙虚にお願いした。無口な工場長は私を食べ、温度と塩分をもう一度見返した後、私に言った。

「今日はありがとう。明日はもっと良い商品が作れそうだよ。明日こそは完売してみせる」

 でも、最終的に残りの私は会社の一画にある廃棄される漬物の樽に葬られた。

 これが私の一生である。

 他の仲間がどうやって最後を迎えたかわからない。豪勢なお皿で迎えるものもいたかもしれない。羨ましい限りだ。

ただ、これだけは言いたい。私はこうして次を考え、私を大事にしてくれた生産者のもとで死を迎えることができて最高に幸せだった。

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