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#109 「あそび」はなぜ必要なのか

誰かと約束をする、という状況は
あらゆる場面で起こります。

それは仕事だけでなく、家族や友人などの間で
ということはもちろん
その内容についても、
待ち合わせ時間のような小さなことまで様々です。

特にビジネスの場面においては、
そんな約束のことを「契約」と呼んだりします。

約束が目に見えないことをいいことに
誰かが不当に利益を得たり、
約束を蔑ろにしてしなわないために
「契約」を結びます。

つまり、契約は
「これだけは守ってもらいますよ」
という最低ラインの補償と言えるでしょう

一方、業務上でも
最低ラインのことだけを守っているだけでは、
大抵の場合、成果につながりません。

そのため、
多くの人が一緒に働く組織では、
暗黙の慣習を含め「ルール」を設けることで
コントロールします。

そんな契約やルールは、
約束を確実に実現するため設けられますが
「やらないといけない」「してはいけない」という縛り産み、
結局はコントロールする、という側面が強くなります。

決められたことをこなす、その過程であれば
それでもよいのかもしれません。

ですが、その過程を重ねて
更に更に次に進んでいく、
または、決めたことのない新たなことをする、
となった際、縛りやコントロールが機能するのでしょうか。

そういった意味でも必要なのは
向かう先だけを定め、
その過程は、能動的で良い意味での予測不能が起こるための
「あそび」が必要なのではないか、と思います。

とはいえ、目に見えないものに期待するのは、
危うさを感じるでしょう。
相手の善意や自分の基準で考えるのは
結果的にトラブルにもなると思います。

だからこそ最も重要なのは、
ルールは期間や成果、それらに対する報酬など
今後トラブルになりそうな不安要素を減らすことのみ押さえ、
対等な立場で、一緒にぶつかりながら作っていくあそびを作る、
そしてその過程を楽しむんでいく覚悟とバランスなのだと思います。

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