評価する社会を少し考える(評価問題-補講①)
杏林大学(2019年度 医学部)入試問題(補講①)
「“勝”手に“小”論文を書く」人、“勝小”です。
(当noteの前提・諸注意等については、こちらの投稿をご参照ください。)
評価問題の補講を始めましょう。
問題と関連記事の保管先
【問題】
【「人を評価する」ということについて、800字程度で論じてください。】
(杏林大学HPより)
評価により生まれること
人を評価することは、『とある集団』を2つ以上の集団(または個人)に分けることに繋がるかもしれません。
(今風の言葉を使うのであれば"分断"?)
・試験の合格or不合格
・採用や昇格の対象or非対象
・表彰台に立てる人or立てない人
などなど…
では、なぜ評価するのか。
と、言う点については『その必要があるから』と答える人が多数かも知れませんし、私も同意見です。
・資格を与えるにあたり、一定程度の要件をクリアしなければならない。
(逆に、その要件を超えていることを担保するための制度が"資格")
・希望者全てを入学or入社させることは出来ないため、一定の基準による選抜が不可避である。
・一定の基準で比較した時に、その分野・領域で優れた評価(成績)を獲得した人を称賛することは悪いことではない。また、当該称賛を糧に人々が研鑽することで、その分野・領域全体の発展に繋がる。
など、評価すること自体が必ずしも"悪"とは言えない面もあると思います。
評価の問題点
(特に評価結果が被評価者の人生に大きな影響を与える場面においては、)不当な評価は可能な限り排除されるべきものだと言えます。
なお、"可能な限り"と言う表現をあえて足しているのには、「誰にとっても完全な平等」ということを実現するのは非常に困難なものだと考えているからです。
例えば(多少極端な例ですが)…
・試験会場が近い人と遠い人がいるのは、当日の余裕に差が生まれて不平等である
・試験官の手際のよい会場と、そうでない会場には進行上差が出ている可能性がある
・試験空間(室温等)を快適に感じる人とそうでない人では集中力に差が出る可能性がある
などなど…
とは言え、
合理的な理由なく、特定の属性を有するの人の評価を、他の集団とは著しく異なるものとする(良い方向でも悪い方向でも)
ことは、受け入れられるものではないというのが一般的かと思います。
もちろん、パートナー(恋人・配偶者等)を選ぶことも、ある種の"評価"が含まれていると考えるならば、その場合の評価は非常に属人的であり、合理的な説明ができるもの以外の要素が多分に含まれていることは、少なくないとも言えます。
つまり、プライベート(私的)な評価ではない公的な評価については、
・評価基準:一定程度の客観性や合理的な理由が必要
・評価運用:基準に対して適切な評価が必要
と、考えました。
(すべての要素を解答中に表現できていないかもしれませんが)
おまけ
『評価の無い社会』は実現可能か否か?
このnoteを書きながら湧いてきた疑問ですが、すぐには答えが出ない気がしたので、またの機会にでも。
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