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「嫌い」の正体

どうもShoSeiです。
身勝手教の教祖です。(笑)

今回は「嫌い」について。

生きてれば嫌われることってあると思うし、人によっては「嫌われない」というのをモットーに生きている。

じゃあ、そもそも嫌いってなんだろうと考えた時に説明できる人は少ない。ちなみに辞書で調べてみても“きらうこと。いやがること。”と出てくる。

僕の嫌いについての考察を身勝手に発信していく。

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嫌いを考えていく上で、欠かせないのが「好き」という感情だろう。嫌いの反対側に位置するとされる好きを考えれば、嫌いの正体が見えてくるかもしれない。

今更だが、この投稿の目的は「嫌われてもよくね?」という僕のエゴの発信だ。というより、好かれることに固執し過ぎるのは窮屈じゃないかなという話。嫌いのメカニズムを理解すれば「何となく嫌われたくなかった」から「あ、嫌われてもいいんだ」と思えるかも。そっちの方が楽じゃないか?

てことで、改めて好きについて考えてみる。

人はいつ人を好きになるのか。落ち着く、共感できる、かっこいい、可愛いなど自分にとってメリットを感じたらだろう。仮にメリットは関係ないという考えがあったとしても、それは損得が関係無いという話で目に見えにくいメリットは確実に存在すると僕は考える。

じゃあ嫌いというのはその逆で、デメリットを感じるものだろう。しかしメリットとデメリットというのは当人の捉え方に依存するという問題がある。表裏一体だ。話し上手をメリットと捉える人もいれば、それを聞き下手と捉える人もいる。

だから、好きと嫌いは対極というよりは仲間っぽいということが分かる。好きの反対は無関心と言われるが、それは言い得て妙なのだろう。


でも、メリットとデメリットに関しての考え方は使えそうだ。

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捉え方の関係のないデメリットをもたらす場合、人はそれを嫌うだろう。結局、人は自分が可愛くて大好きで仕方ないんだ。

生物として人間の話をすると、不動のデメリットは「死」だ。つまり己に死を与えうる存在に対して嫌いという感情を持つ。これは本能として。


じゃあ今まで人間は何に殺さてきたのか。病気や事故など沢山あるが、共通するのは「得体の知れない」や「予知が難しい」ということだ。

これを人に当てはめると、自分や多数と異なる人が嫌われやすいというように言える。理解が難しいから本能的に排除しようとする。

でも、この時代に納得は出来ずとも理解すら出来ないことってあるのか?と思う訳なんですよね。「まあ、こういう人もいるよね。」と思えないのかなと。

でも、こう思ってしまうと「そういう人達を理解出来ていない」という罠にハマってしまいます。なので僕は理解を持たない人に対しても「そんな人もいるよな」と思っている。

別に「俺は分かってるよ」「私は理解している」みたいな態度はキモいからいらないけれど、他人の世界もそっと理解しておく姿勢が必要なんじゃないかなと。

逆にそれが出来ない人は、ある意味ではたかが知れてるので「嫌われていい」と思える。思えなかったとしても、何となく「どこに時間を使うべきか」というのは分かるだろう。嫌われることを恐れる必要は無い。


まあ、これは身勝手な独り言だから真に受ける必要もないんだけれども。(笑)

身勝手に生きれば、それの正しい間違いに関係なく嫌ってくる人はいる。別に身勝手に生きなくてもいるか。気楽にいこう、そんなに怯えるほどのことじゃないぞ。

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最後に宣伝を失礼。

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