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リモートワークをしていると自分の仕事がなくなるかもしれないって思うこと。


梅雨があけ

夏らしいセミの鳴き声に季節の到来を感じ、望ましくない暑さに辟易しはじめているこの頃。

そんな日常的なニュースもかすんでしまう日々のニュースに思うこと。
noteを書き始めたころ、ちょうどぼくはリモートワークを開始したころだったと思う。仕事について書き留めておきたいと思い、つれづれと書く。

みなさまの中にもリモートワークになった人、または経験した方は多い、と思う。

「出社、通勤のストレスがない」「自分のペースで仕事ができる」
新しい発見や喜び、または不安があったと思う。

ぼくは自分の「仕事量」が以前よりはっきり明確になったと感じています。日々の業務量が意外と少なかったり、途端にto doがなくなったり。仕事に対する自分の存在感がこれまで以上に浮き彫りになったように感じます。
少なからず
働き方が変わったことで、「仕事がなくなるかもしれない」という危機感を抱くようになりました。


主体性を持って取り組む

リモートワークで浮き彫りになった「仕事は与えられるもの」と思っている人と「仕事は自分でつくり出すもの」と考える人の差。

時間的な余裕が生まれることで
楽になったと感じることはありますが、そこに甘えて自分の働き方におけるアウトプットまで低下してしまうと自分の価値は下がってしまうことは明白。

「仕事は会社に与えてもらうものだ」という意識があるうちは、
自分の価値も、仕事も、得られるお金も限られてしまうのではないでしょうか。自分の市場価値。

主体性とは、自分の市場価値を高めることに繋がる。
では、いったい、主体性とは一体どこからくるものだろう。

バッターボックスに向かうときに、相手投手の球種や守備位置は頭に入っているだろうか。順番で打席が回ってきたから慌ててバットを持っていないだろうか。結果のために素振りはしてきただろうか。

主体性とは、
なにをしていたら楽しいか、からはじまると仮説をたてる。
と言っては、すこし甘い考えかもしれませんが・・・

ヒットを打って楽しくないひとはいるだろうか。

「これでいいや」から「こうするためにどうしたらいいのか?」と考えるようになる。
ぼくはゲームや遊びだろうと、自分の結果をなだめる言葉は言わないし、聞きたくない笑(言ってるかもしれないけれど)
もちろん子供だなあって思うこともしばしばで、負けず嫌いと言われれば、そうかもしれないが、ただの向上心だって答えたい。

どういう結果を残したいか。自分の価値とはなんだろうか。


なにも三冠王を目指せということではなく、目立ちたい、ベンチからスタメンを勝ち取るため、など自分なりの仮説と目標を持っているかに尽きる。
もちろんチームに良い結果をもたらす(社会貢献)ための打席であるわけだが。

目の前の仕事を通じて、自分の経験値を増やし続けること

外注で補えない仕事やスキル、または仕事をつくりだす力。


つらつらと脈絡なく、書き留め。


7月31日。
ひと区切りらしいタイミングがあって
ささやかな、慎ましいヨシッとした達成感とホッとした安堵感。

それも過去の話で数時間後には8月。

結果のでない努力に意味はない。

モチベーション上げるのも下げるのも、自分次第。


良い夏を過ごしましょうね。


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8月の狂詩曲 黒澤明監督


このシーンのための映画だ!と言いたいくらい

ドーーンと脳にきたシーン。言葉より感じてくださると幸い。


では。


nakabayashi




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