似合う似合わないなんて、あんまりない。
白がはえる季節。
書き出しはブログと同じながら、ちょっと変わった(変わってるとは思っていないけれど)夏の装い、似合う似合わないについて思うところがあり書いてみた。
僕はTシャツたるものを持っていない。
夏のマストアイテムとすらならない、チャーシューメンのチャーシュー抜きのような欠かすことができない存在の夏のTシャツ。エアリズム的なインナーは持っているし、よく着るけれどインナー以上インナー未満であって、表立って思い切って着ることはないし、見慣れていないのでとても変。
夏はロンTやロンTの袖短め、もしくはシャツの袖をまくっている。チャーシューメンは好きだ。
Tシャツに似合う似合わないなんてない、って意見はありがたく頂戴するが聞き流したい。それは後ほど反論したい。
たぶん10代の頃は着ていたと思うが、併せてジーパンも持っていない。
頑張ってトライしたが、どうにも難しいしまず動きにくい。もはやなぜ履くのかがわからないし自分には必要ないものとして認識している。
Tシャツにジーパン。
マイノリティ自覚ある意見としては、個性が奪われるって思う。
若かりしころは、人と同じは嫌&天邪鬼的精神から、疑ってかかったんだと思う。なぜTシャツにジーパンは絵に書いたような市民権を得ているのか。政府から御用達でもあったのか。
カッコつけて言うなら、自分が着たいもの似合うものと世間の一般を再構築した。今でこそオーバーサイズが主流、世の流れとしてあるけれど、僕がとったのは大きいサイズを着ることだった。サイズだけでは満足しなかったので、なにかにつけて長い服。(当時は探すのが大変だった)
たぶんおそらくきっと自分以外からは似合っていない、というか変な格好をしていると思われていたに違いなくて、いやほんとに長いシャツを着ていてすれ違う子供たちがお母さんに、あの人なんで女の子みたいな服着てるのって報告と見たらダメを何回か聞いたことがある。。
流行だのなんだのが少なからず確実にあった2000年代には変わった人という中身さえ疑われた次第だ。(単に人柄ではって話は置いとこう)
そもそも似合うってなんだろう。
自分が気に入っていて、気持ちよければいいのでは?
ここで疑問、というか持論。
初対面で似合う、似合わないってわかるのだろうか。
サイズや云々は各自の最低限の見立てとして、似合う似合わないというのはある程度その人のライフスタイルや性格などを反映した上で発せられ、称される言葉ではないか。
初対面でメガネ似合っていますねって、ちょっと言ってる意味がわからない。きっとその意味を問いたところで悪気はないし、褒めたのにって損した気分にさせてしまう。でも、メガネをしていない顔を知らないよね・・・
こういうの似合わないから〜って聞くけれど、好きな服、気持ち良い服を着るべきだし、ただ単に慣れていないだけでは?って思う。まあそういうとおしゃれな人は〜等々のまあまあの悪意を持った発言で返ってくるので、意見すら述べるのを躊躇う。
制服はどうだろう。似合う似合わないはあるだろうか。ないだろう。きっとない。例えばJRの車掌さんが制服姿をぜんぜん知らない人から似合ってないよって言われることがあるだろうか。あるとしたら、親族的な昔から知っている人だろう。ほほえましく見守ろう。
閉鎖的でイライラしてた10代、人の言うことをはいはいと信じなかった20代、30代も終盤になってようやくビジネス本的な本を読めるようになったし、自分の意見や趣味などの見方が変わった。
たぶん40代になると30代も若かったと思えるのだが、いま現在ではずいぶんとおとなになったと思うので、Tシャツにジーパンも着れるかもしれない。
いまだになぜ着ないといけないの?って思う笑
まとめると、
慣れると印象がつく。
良い意味でも悪い意味でも。
それを良しとするか悪いと決めるのは自分なので、結局なところは好きな服を着たらいいと思う。政府からの御用達がない限り。
挑戦と言うのは、そういう前向きな姿勢にこそ称される言葉だ。
自分に似合う、似合わないを自分で見つけよう。
よく買ってしまう、集めてしまう色で自分が好きな色に気付くように。
きっと誰でもマイノリティな癖(=こだわり)みたいなものがあることがわかってくると思う。それがおしゃれって言うんじゃないかな。
では、また。
nakabayashi
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