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DXに必要なのは技術? 文化の重要性を考えてみる

技術のみならず、文化にまで口を挟むDX専門家

デジタルの専門家は、どうして会社の風土や仕事の進め方に口を出すのでしょうか。デジタル側の方は異分野における成功体験の押しつけではないのか気になるでしょうし、ビジネス側の方は鬱陶しくて仕方ないとか、越権行為などと感じるかもしれません。
ある専門家は、経営者がDXを始めるには何からすべきかと聞かれて、GitHubにアカウントを作ることだと答えたそうです。つまり、経営者が自らプログラムを書き、他者とコードをシェアすべきということです。なぜそんな発想に至るのでしょう。

結局のところ、DXを推し進めるにあたって、技術以外にも必要なものはあるのでしょうか。仮にあるとすれば何か、考えてみたいと思います。

先に筆者なりの答えを述べるなら、DXの専門家が推進にあたって風土やプロセス設計に口を出す妥当性はあります。しかし業績向上に対する確たるエビデンスがあるというより、デジタルの強みを活かし定着させるために必要だと考えている、というのが正直なところです。

第一の特徴は「オープン」な文化

さて、デジタル的な風土・文化の中でも、はっきりと根付いているのは「オープン」です。
現代のITでは、多くのものがオープンになっています。データが公開され誰でもアクセスできる。プログラムのソースコードが公開され誰でも利用・改変できる。履歴書が公開されヘッドハンティングが自由にできる。これらは、数十年前には考えられないことでした。

そもそもなぜオープンにするのでしょうか。例えばライフサイエンス研究の世界では、遺伝情報のように、取得したデータを公開することは当たり前になっています。その結果として、データを取得したチームが秘匿・死蔵していたらまるで不可能だったようなイノベーションが相次ぎ、科学技術はめまぐるしい速度で進展しました。ですから、データを公開することが社会の役に立つことは想像できると思います。
ですが、企業は社会の全体最適のみを目指している訳ではありません。仮に社会の役に立つにしても、株主の利益を大きく損なうような施策は取れないという意味です。では企業が公開する理由は何でしょうか。せっかく資金を投入して得たデータや作成したプログラムを公開したら、競争優位は失われ、後発プレイヤーを利するばかりです。
この疑問は正当なものです。実際に、USのIT企業といえども、全てを必ず公開する訳ではありません。これまではオープンなカルチャーがメインだったデータサイエンスの世界でも、OpenAI社はChatGPTを基本的にはクローズドな形で提供しています。それに対しMetaはLlamaをオープンな形で提供し、多くのプレイヤーがその改良に携わっています。今後どちらの方針が主流になるのか分かりません。

オープンにする最大のメリットは、プレイヤーが集まることです。もし、その製品や関連技術を全て自社から提供するつもりであれば、オープンにする理由は弱くなります。しかし、自社製品を思いがけない形で使いこなし価値を向上させてくれるような企業がいたり、自社のファンとなって入社を希望する凄腕エンジニアがいてくれたりするならば、公開する価値は十分にあります。つまり、オープンにする理由は、自社の周辺にビジネスエコシステムを構築するためなのです。
もちろん、全面的に公開しなくてもエコシステムは構築できます。実際にOpenAIはAPIという形でChatGPTを他のサービスと連携させる手段を用意していますから、既に興味深いエコシステムが形成されています。これは部分的なオープン戦略と言えるでしょう。

オープンにするとエコシステムを形成できる一方で、持続的な競争優位を失ってしまう。これをバランスと考えては見誤ります。それよりはむしろ、持続的競争優位という概念を捨て去って、一時的な競争優位を築き続ける経営方針と考えるべきでしょう。言い換えるなら、速度を絶えず追い求めることがオープン戦略の特徴とも言えます。これは、長期に亘って安定した競争環境を仮定しているポーターやバーニーの戦略論とは前提が異なることに注意してください。

第二の特徴は「学び、試す」

さてここで、先日ご紹介したデジタルの技術的な特徴「つながる」「データを使う」を思い出してみましょう。これらの特徴に、先ほどの文化的な特徴である「オープン」を加えます。
世界中の人々とつながることができ、プログラムやノウハウが公開されている。データやAPIにアクセスでき、膨大なデータからは様々な知見が得られる。こういった世界においては、一人の人間がコツコツと貯めてきた知識や経験は小さなものになってしまいます。知らないことはネットを調べればいいし、社外の詳しい人に聞けばいい。自社にいない専門家を探して雇うのも難しくありません。大量のデータを学習させたAIは、たかだか10年、20年の業務経験よりはるかに豊富で客観的な知見を有しています。
この結果として、過去に業界と呼ばれていた知識や業務の分野は、その垣根が非常に低くなっています。USではシアーズやトイザらスが倒産しましたが、Amazonのジェフ・ベゾスは小売業界の専門家ではありませんでした。ホテル業界を脅かすAirbnbもタクシー会社の脅威となっているUberも、経営者はそれぞれの分野の出身ではありません。DeepMindは囲碁で世界チャンピオンを打ち負かし、タンパク質の構造予測で恐るべき精度を誇っていますが、囲碁や生化学の専門家が起業した訳ではないのです。

デジタルの時代に業界の境目が曖昧になり、異分野出身の技術や企業が猛威を振るっているのは、「学び、試す」ハードルがぐんと下がったからです。
何かを学ぶのに、もはや専門家に弟子入りしたり、図書館の入館許可を得たりする必要はありません。それだけではなく、学んだ結果を試すハードルも下がりました。アプリストアに登録するだけでソフトウェアを販売することもできますし、E-コマースで実際の商品を出品することもできます。試す資金が足りなかったとしても、クラウドファンディングをすることすら可能です。
専門家と非専門家の、職業人とアマチュアの境目がなくなってきたというのは、製造者と消費者の境目がなくなると予言したトフラーの“プロシューマ―” (ProducerとConsumerの造語) を想起させます。まさに情報社会が到来しつつあるということでしょう。

技術の特徴と文化の特徴が強め合ってDXを定着させる

さて、これでようやく筆者の考えるデジタルの特徴が出そろいました。技術面として「つながる」「データを使う」、カルチャーとして「オープン」「学び、試す」の計4つになります。
これらの特徴は、それぞれが強め合う傾向にあります。つながるからデータが蓄積し、活用が進む。オープンにすることでエコシステムが形成され、つながりが増える。オープンなデータが蓄積されると異分野のことが学びやすくなる。様々なことを試すほどつながりも増えデータが蓄積する。これらのポジティブフィードバックを回したいからこそ、DXの専門家は技術だけでなく文化や風土の変革にも挑戦しようとするのです。言い換えるなら、いくら繋がる技術やデータ活用の技術を導入しても、クローズドで誰も寄ってこないような状態だったり、データから得られる知見から学ばず新しいことを試さないようなら、デジタルの真価は全く発揮されず、DXは失敗に終わります。

ここまで論旨が展開されてきて、結局のところ当たり前の一般論を聞かされた気になったかもしれません。ですが、振り返ってみてください。自社は社内外と徹底的に繋がっているのか。データを自由自在に解析し、その結果は至る所で活用されているのか。エコシステム内で存在感を持ち続けられるように、速度とオープンさを磨き続けているのか。組織としても個人としても、絶えず専門内外のことを学び、試し続けているのか。これらを持続的に追求するのは本当に大変なことです。そして同時に、挑戦し甲斐のある、楽しい仕事スタイルでもあります。こういった、技術だけでない文化や風土を備え、デジタルが自然に定着している会社になることが、デジタルトランスフォーメーションだと筆者は思っています。


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