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【おしえて!キャプテン】#18 マーベル・コミックスのLGBTQ+キャラクターたち(前編)

6月は世界各地でLGBTQ+の権利や文化、コミュニティーへの支持を表明するさまざまなイベントが行われる「プライド月間(Pride Month)」です。そこで、今回のキャプテンYことアメコミ翻訳者・ライターの吉川悠さんによる連載コラムでは、マーベル・コミックスでのLGBTQ+の描かれ方について全2回でお送りします。昨年11月に掲載した【おしえて!キャプテン】#11 新スーパーマンがバイセクシャルを表明! DCコミックスでのLGBTQ+の描かれ方とは?と、ぜひあわせてご覧ください。

マーベル・コミックスにおけるLGBTQ

今月はプライド月間ということで、昨年11月のコラムの好評を受け、今回はマーベル・コミックスにおけるLGBTQ+の描かれ方について紹介していきたいと思います。長くなりますがお付き合いください。

なお、今回の記事にはフィクションにおける同性間の性暴力や、過去の価値観に基づく描写、また差別についての言及もありますので、ご注意ください。

前史(~1970年代)

1970年代くらいまで、マーベル・コミックスにおけるLGBTQ+表現は、お世辞にも誉められたものとは言えませんでした。もちろん、それはマーベルに限らず社会全体の問題でもありました。

当時は出版社間の自主規制であるコミックスコードの影響力がまだ強く、その中で「反道徳的な性的関係はほのめかしたり表現したりしてはならない」という条項等によってLGBTQ+表現を描くことが難しかったとされています。さらに製作側の認識や偏見の問題もあり、DCコミックス同様、長い試行錯誤の歴史を経ることになります。

ハルクと性暴力(1980年代初頭)

1980年代初頭、当時はTVドラマ『超人ハルク』が放映中で、その人気にあわせてマーベルは『ランページング・ハルク』(のちに『ハルク!』に改題)という、やや大判のコミック雑誌を刊行していました。
この雑誌は通常のコミックスとは別の流通で販売されていたため、コミックス・コードによって規制されない媒体でもあったのですが、同誌の#23に掲載された「ベリー・パーソナル・ヘル」という短編が物議をかもすことになります。

同作は、逃亡するブルース・バナー博士が都市をさまよい、ドラッグや売春、鬱による自殺など、現代社会の悩みを抱える人々に遭遇するという内容でした。その中で、安宿で身を隠そうとしたバナー博士が、共用のシャワールームで2人組のゲイの大学生によって襲われそうになるという場面が描かれます。

彼らに迫られているあいだ、バナー博士は自分が妙に冷静なままで、ハルクに変身できないことに気づきます。間一髪逃れたバナー博士は、路地裏で落ち着いてから、改めてその恐怖を思い出し、ハルクに変身して暴れ出すのでした。

掲載された直後から、この話はお便りコーナーなどで強い批判を受けました。この話の原作担当は当時のマーベルの編集長であったジム・シューターだったのですが、彼は後年に至るまで弁解を続けることになったそうです。

2010年に『ハルク!』#23を白黒で再録した『エッセンシャル・ランページング・ハルク』vol.2より

そもそも当時のマーベル・コミックスでは、ゲイと明示されたキャラクターはろくに登場しておらず、挙動や喋り方がナヨナヨしたステレオタイプ的なキャラクターがたまに描かれるくらいでした。
そこへ、わざわざ規制のない媒体を使ってまで、初めて明示されたゲイ表象が、同性愛者への恐怖と嫌悪に基づいて描かれた性暴力の加害者だったわけです。

シューターは全てのゲイが加害者と描いたわけではないと弁明しましたが、他にゲイのキャラクターが描かれているわけでもなかったため、批判は強まるばかりでした。

先立つ70年代は、アメリカの国民的長寿TVドラマ『マッシュ』でゲイについて取り扱ったエピソードが放送されたり、78年にはオープンリー・ゲイの政治家だったハーヴェイ・ミルクが暗殺されるなど、ゲイ表象をめぐって社会が激しく動いていた時期でした。
そうした時代の直後にこのようなエピソードが提示されたとあっては、批判が集まるのも当然だったと言えるでしょう。マーベルにおける(ほぼ)最初の“明示された”LGBTQ+表象が、こうした形だったのは不幸なことと言えますが、その後もさらなる試みが続いていきます。

『Essential Rampaging Hulk - Volume 2』

タクとベノム(1970年代)

話は前後してしまいますが、1970年代前半には別の動きもありました。
1972年に創刊された『ジャングル・アクション』誌は、当初は過去のターザンもののコミックの再録誌でしたが、途中からブラック・パンサー(ティチャラ)の初の単体主役タイトルとなります。同誌でほぼ一年かけて掲載された「パンサーズ・レイジ」は、ワカンダの設定を大きく掘り下げつつティチャラとキルモンガーの激闘を描く大長編でした。

『Black Panther Epic Collection: Panther's Rage』

この「パンサーズ・レイジ」編には、キルモンガーの命を受けてブラックパンサーの命を狙う刺客が次々登場します。その中の一人に、毒蛇使いのベノム(※ヴェノム/Venomと違ってmが一つ多いVenomm)というキャラクターがいました。

アメリカ白人の彼は、幼い頃に顔に酸をかけられるというイジメを受け、世をすねて蛇使いとなるのですが、キルモンガーに救われたことがきっかけでワカンダにやってきました。ブラックパンサーとの戦いのあとに捕えられた彼は、ワカンダ王室の通信官であるタクと出会います。ベノムの恐ろしい容貌の下に人間性を見いだしたタクと、タクによって初めて人として受け入れられたベノムは、官吏と囚人という立場を超えて心の絆を育てていきました。

当時の担当ライター、ドン・マクレゴーによれば、この2人はゲイカップルとして意図されており、この時代の出版規制の中で可能な限り同性愛を描こうという試みだったといいます。(※参考記事

1975年の『ジャングル・アクション』#16より。ベノムは「パンサーズ・レイジ」編の数少ない白人の登場人物でもある。

こうしたキャラクターは一般的に、“コーデッド(暗号化された)”と表現されます。後に1991年に刊行された『ブラックパンサー:パンサーズ・プレイ』の中で、2人の関係は「companion」と明言されるようになりました。自主規制が行なわれたり、社会的理解が浸透していなかったりする時代でも、このようにLGBTQ+ではないかと思われるキャラクターが描かれることがありました。タクとベノムはその一例と言えます。

ミスティークとデスティニー(1980年代~2020年代)

1978年に登場したミスティークと、1980年に登場したデスティニーは、ミュータントのテロリスト集団「ブラザーフッド・オブ・イービル・ミュータンツ」を率いてX-MENとたびたび戦ってきました。2人を創作したライターのクリス・クレアモントは、彼女たちを当初からカップルと意図して書いていたといいます。

しかしこの関係も、コミックスコードによる自主規制や編集部の意向によって、80年代前半の当時は仄めかされる程度の描写に留まっていました。現在、X-MENの主要メンバーの1人となっているローグは、この2人によって育てられるのですが、その関係は、2人の母親がいる家庭として描かれています。

1990年のClassic X-MEN #44より、ローグの子供時代を描いた短編。彼女はミスティークとデスティニーの2人に愛情をこめて育てられた。

また、ミスティークはX-MENのナイトクロウラーの母親でもあります。前述のクレアモントは、ナイトクロウラーは、変身したミスティークとデスティニーのあいだにできた子供であるととするつもりでした。(※参考記事)しかし、彼はその設定を語る前にX-MENのライターから降板してしまったため、結果的に悪魔じみたミュータントのアザゼルが、ナイトクロウラーの父親と設定されることになりました。 

『ハウス・オブ・X/パワーズ・オブ・X』でもミスティークは序盤から活躍しています。同作で死を克服したミュータントたちは、地球の支配種族となりますが、ミスティークの存在が、実は今後の大きな不穏要因になっています。デスティニーの復活を懇願しつづけながら、ある理由から却下されたままになっているミスティーク。彼女の愛と怒りが、やがて『インフェルノ』事件の原因となります。

『ハウス・オブ・X/パワーズ・オブ・X』
X-MENをはじめとしたミュータントたちの運命を、過去と現在と未来、いくつもの時間軸から語り継ぐ、マーベル史上最大規模のSF作品
『Inferno』

『ハウス・オブ・X/パワーズ・オブ・X』は壮大な規模でミュータントの未来と楽園の誕生を描く作品でしたが、一組のクィアカップルをないがしろにしたことで根幹から揺るがされるというのは、なんともドラマチックな展開と言えます。

2020年のX-MEN#6より。楽園を守るため、プロフェッサーXたちはミスティークの要望をはぐらかす。その代償はやがてクラコアを焼き尽くす危機に……。

キャプテン・アメリカ(1980年代~2020年代)

1982年の『キャプテン・アメリカ』誌#268から#270にかけて、1人の初老の男性がキャプテン・アメリカ(スティーブ・ロジャース)の前に現れました。その正体は虚弱な子供だったスティーブを悪童たちから守っていた幼なじみ、アーノルド(アーニー)・ロスでした。

彼はキャップを狙うバロン・ジモの陰謀に巻き込まれ、同性の「ルームメイト」であるマイケルをジモに誘拐されていたのです。キャップの活躍により、一度は救出されたマイケルでしたが、その後もジモの攻撃は続き、やがてマイケルは死んでしまいます。さらに同誌の#296では、アーニー自身もジモ一味に操られ、自分のセクシュアリティを嘲笑う道化にされてキャップの前に晒されます。

この時、キャップはアーニーを救い出し、「奴らが私のバーニー(当時の恋人)への愛を穢せないのと同じように、君のマイケルへの愛も穢すことはできない!」と呼びかけました。このセリフは、異性への愛も、同性への愛も、平等に尊重すべきものであるというキャップの宣言でした。

1984年の『キャプテン・アメリカ』#296より。LGBTQ+の権利のために戦う異性愛者、いわゆるストレート・アライとしてのキャップの姿。

この話の原作を担当したJ.M.デマティスへのインタビューによると、彼はアメリカの象徴であるキャップの周りの人々は、アメリカのあらゆる面を反映しているべきと考えていたそうです。(※参考記事)当時の恋人のバーニーはユダヤ人であり、相棒のファルコンは黒人、それならゲイの友人もいるだろうと。

その後、アーニーは90年代に再登場し、骨ガンで余命いくばくもないことを宣告され、最後の日々をキャップの活動の手伝いに捧げて亡くなりました。スティーブとアーニーの子供時代のエピソードは、映画版のバッキー・バーンズに取り入れられていると言われています。

2020年にはキャプテン・アメリカ誕生80周年を祝う企画の一環としてミニシリーズ『ユナイテッド・ステイツ・オブ・キャプテン・アメリカ』が刊行されました。
同誌では、盗まれたシールドの謎を追って、スティーブ・ロジャースとサム・ウィルソンの2人のキャプテン・アメリカが、アメリカを巡る旅に出ます。その過程で、彼らに触発された草の根キャプテン・アメリカたちに出会うというストーリーです。

彼らが最初に出会ったのが、「鉄道のキャプテン・アメリカ」こと、19歳のゲイの青年であるアーロン・フィッシャーでした。彼は住む家を失った人々や、彼のように家出したLGBTQ+の若者たちを助けるために戦っています。見た目はいまどきの若者ですが、鉄道を中心に活躍する背景には、無賃乗車でアメリカじゅうを移動していたホーボー(※)の伝統が見受けられます。

※ホーボー:アメリカで19世紀の終わりから20世紀初頭の世界的な不景気の時代、働きながら方々を渡り歩いた渡り鳥労働者のこと。

2020年の『ユナイテッド・ステイツ・オブ・キャプテン・アメリカ』#1より。アーロンは家を奪われた人々を救うため大企業ロクソンを相手に戦う。

LGBTQ+の子供達の中には、家族の無理解から家出してストリートで暮らし、セックスワークに頼らざるを得なくなったり、命の危険に晒される者もいるのですが、そうした孤児たちの実情も取り入れられています。

『The United States Of Captain America』

常にアメリカの「今」を反映し続けることが求められるキャプテン・アメリカの物語は、今後も時代に合わせて変化しながら語られつづけていくことでしょう。


次回、【おしえて!キャプテン】#19 マーベル・コミックスのLGBTQ+(後編)に続きます。


今回ご紹介した本


◆筆者プロフィール
吉川 悠
翻訳家、ライター。アメコミ関連の記事執筆を行いながらコミック及びアナログゲーム翻訳を手がける。訳書近刊に『コズミック・ゴーストライダー:ベビーサノス・マスト・ダイ』『スパイダーマン:スパイダーアイランド』(いずれも小社刊)など。Twitterでは「キャプテンY」の名義で活動中(ID:@Captain_Y1)。