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感動を求める自分が嫌になる『イニシェリン島の精霊』 (映画感想文)

ネタバレします。
嫌だったら即退散を!




「感動をありがとう!」とか簡単に言う人は苦手です。
だからといって「感動」が嫌いなわけではありません。むしろ大好物です。オリンピックとか、観るし。
だけど、常に「感動」を欲しがる「感動乞食」ではありたくない、という気持ちがどこかあります。
なんでだろ?
素直に感動すればいいのに?

とにかく面倒くさいタイプの人間なのです。

「感動」に関して、こっちはこんな複雑な思いを抱えているのに、目の前で曇りひとつない明るさで「感動をありがとう!」なんて叫ばれちゃうと、眩し過ぎる午後の海でも見るように、ちょっと目を細めたくなるものなのです。

『イニシェリン島の精霊』です。
タイトルを聴くと「文芸作品?」と思います。

アイルランドの小さな島で、酪農家の男が、音楽家の親友に「もうお前とは口をきかない」と絶交を言い渡されます。頭はあまり良くないけれど優しい男である酪農家は、親友の突然の申し出に戸惑います。「嫌だ!」って言ってみたり、悲しんでみたり、絶交を告げられた翌日が4月1日で「あれ、やだ、エイプリルフール?」なんて浮かれてみたりします。

だけど、音楽家は本気です。
本気で絶交だと言っているのに、それでも関わってくる酪農家に「今度、話しかけてきたら、俺は自分の指を切り落とす!」と宣言します。ヴァイオリン弾きなのに。

そんなふたりのやりとりや、アイルランドの島の荒涼とした美しい風景、そこに住むどこか寓話的な雰囲気の人たちの暮らしや関係性が淡々と描かれます。
1920年代の設定で、海のすぐ向こうのアイルランド本島では内戦が起こっています。時々、爆音が聴こえてきたりもします。ですがイニシェリン島は退屈、そして退廃的なほどに長閑です。

そんな淡々としたものを観ながら、こちらとしては、自然と期待に胸が膨らんでしまうわけです。

もう、絶対、あれでしょ? 絶交とか言って、お前を嫌いになったとか言って、本当はそんなこと全然なくって、親友に対するものすごく深い愛情が詰まった理由が、もしくは人生の真理みたいなものが、ラストで感動的に明かされちゃうわけでしょ?

と。

こんな設定、どうしたって「感動」を待ち望んでしまうのです。
まさに「感動乞食」状態です。

だけど、ここで、ひとつ引っかかるのが、この映画はゴールデングローブ賞の『コメディ部門』で最優秀作品賞を受賞した、という点。

コメディ部門?

ドラマ部門じゃなくて?

だから、もしかしたら、ラストは「感動」ではないのかもしれない。
ちゃっちゃっちゃっちゃっちゃらちゃんちゃん、ってドリフみたいに終わるのかもしれない。
そう考え直して、まだ見ぬ感動で暴走しそうな自分をクールダウンしました。

まさに、感動したい自分 vs 感動乞食ではありたくない自分。
裏腹な2人が自分の中で終始せめぎ合う映画でした。

果たしてラストに大感動が待ち受けているのか、否か?
それともドリフなのか?
これはコメディなのか?

気になる方は、ぜひ。

それにしても難しい映画です。
ストーリを追うのは簡単ですが、そこにあるに違いない作品としての意図やテーマは、いろんな解釈があり、さまざまに解釈すること自体が楽しい映画なのだと思います。NOTEやYOU TUBEを検索しても、いろんな人がいろんな解釈をしていますから。

いちばん心に残ったセリフのやり取りを記しておきます。

お前は優しいだけで知恵や知識がないと言う音楽家に対し、酪農家は優しさでいいじゃないか、と言います。

音楽家「優しさで死後も記憶されている人間などいると言うのか?」
酪農家「俺の妹は優しいぞ。俺は妹の優しさを決して忘れない」

それから予備知識なしで観にいったら、うっかりバリー・コーガンが出ていました。しかも、ちょっと知恵遅れっぽい島の青年役という、キュンとせざるを得ない役で。

愛嬌があるけど実は冷たそうな目をしている、
という私の好きな男のタイプに、
おそらく世界でいちばん適している。

淡々とした映画なので、ふと落ちそうになることもありましたが、バリーの瞳の美しさで目覚める、そんな贅沢な時間が過ごせました。

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