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感情論を回避する

弁護士をしていると、ときたま依頼者から、こっちはこれだけ迷惑を被っているのだからもっと相手を懲らしめてほしい、痛めつけてほしいといったリクエストを受けることがあります。気持ちはとても良くわかるのですが、残念ながら、こうした議論はほとんど意味をなさず、むしろ不利益となることが多いです。

感情論は、(特に法的な戦いにおいては)説得力を欠くのです。

これは、感情論が主観的な議論であることに起因します。説得力がある議論というのは、客観的(みんながそう思うもの)で、合理的(みんなが理解できるもの)なものをいうと考えますが、感情論は主観的なものであるため、客観性を欠き、それゆえに独りよがりな合理性の低いものであることがほとんどだからです。「なんでわかってくれないの!?」という感情論なんか典型的ですよね。

でも、人間は極めて感情的な生き物なので、どうしても脊髄反射的に感情論に陥ってしまいがちです。かくいう私も、弁護士としてトレーニングをしていながらも、感情論に陥ってしまいそうになることがあります。

感情論に陥ってしまいそうになったとき、私はこのエピソードを思い出します。

韓信の股くぐり

”韓 信(かん しん)は、中国秦末から前漢初期にかけての武将。劉邦の元で数々の戦いに勝利し、劉邦の覇権を決定付けた。張良・蕭何と共に漢の三傑の一人。” ”ある日のこと、韓信は町の若者に「てめえは背が高く、いつも剣を帯びているが、実際には臆病者に違いない。その剣で俺を刺してみろ。できないならば俺の股をくぐれ」と挑発された。韓信は黙って若者の股をくぐり、周囲の者は韓信を大いに笑ったという。その韓信は、「恥は一時、志は一生。ここでこいつを切り殺しても何の得もなく、それどころか仇持ちになってしまうだけだ」と冷静に判断していたのである。この出来事は「韓信の股くぐり」として知られることになる。”(出典:「韓信」(2018年4月28日 (土) 15:08  UTCの版)『ウィキペディア日本語版』)

これだけの侮辱を受けながら、韓信はこの若者を切り捨てるという選択(感情論)ではなく、股をくぐるという冷静な判断(この状況では一番コストが低く合理的な選択)をしたというのは正に賢明な判断でした。殺人を犯せば処刑されてその後の人生をダメにしてしまうおそれがありました。

よくプライドの高さを指摘される韓信ですが、生半可なプライドであれば、若者をすぐに切り捨てていたでしょう。韓信の場合、プライドというよりは、セルフイメージがとても高かったのではないかと思います。自分は何者かになるという強い意志があったからこそ、これだけの侮辱を小事ととらえ、冷静で合理的な判断を下せたのだと思います。

そこに大義があるか

もし、感情論に陥ってしまいそうになったら、一つ呼吸をおいて、「そこに大義があるか」ということを考えてみるといいと思います。感情論をぶつけてみても、多くの場合は何も得ることができません(感情論に付き合ってくれる優しいひとからの反応を得られるかもしれませんが、そういう人たちもどんどん離れていきます。)。その感情論は、自分に不利益が生じてまでもぶつけなければならない程の大義があるのか。多くの場合はそれほどの大義のあるものではないでしょう。

そして、少し冷めた目線(自分自身から少し離れた第三者的目線)から、”この状況を打破するためにどうしたらいいか”という建設的な思考に切り替えることができたらより良いと思います。メタ思考ってやつですね。

たとえ相手が感情論をぶつけてきたとしても、感情論で返すのではなく、メタ思考に立って建設的な議論をできるようになれば、周りの人から信頼され、一緒にいて安心できる存在となると思います。

結語

いかがでしたでしょうか、感情論の回避の方法。こうしたメタ思考のトレーニングを積んで自分の視点を自由自在に動かすことができるようになれば、人生が豊かになって、いろんな人と無理なくコミュニケーションがとれるようになると思います。

メタ思考は前回投稿した謝罪の際にも必要な思考法です。つまり、ほとんどのコミュニケーションは、メタ思考ができるようになれば、円滑にすることができるのだと思います。

感情論に陥りそうになったら、そこに大義があるかを考え、メタ思考で乗り切ってみてください。

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法律書よりビジネス書が好きな弁護士。弁護士業務や弁護士になるまでに培った経験をなるべく言語化して共有したいと考えております。皆様からサポート・リアクションをいただき本当に感謝しております。励みになります。