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2022/11/15  13:13

私はこの眩しい都会という名のコンクリートの森に閉じ込められている風のように、執念という名の檻の中で生きている。逃げ場がないし、帰れるところもない。

週6のバイトを終えて、重い荷物を背負って家に向かっているいま頃、薄暗い道が人生の最期に見えてきた。

8月末から働き始めた塾講のバイト、今日出勤前に急に上司に呼ばれた、話したいことがあるだって。

マンツーマンの生徒から苦情が入った。私に教わられたくないって、A先生じゃなきゃだめだって。

上司に叱られることがなく、むしろ気遣いをしてくれたけど、逆に申し訳ない気持ちになった。「しょうさんがちゃんとやっていることは知っているよ、しょうさんのせいじゃないですよ」と慰められたけど、自分が生徒に受け入れもらえなかったことに、どうしても自分のことを許せなかった。

小さな頃からそうだった。周りからの批判はいちいち気にするけど、誰かに褒められるたびに、思わず「お世辞だろう」と考えてしまう。

近所のおばちゃんたちに大人しい子だなと褒められた時も、第一志望の高校に受かった時も、一人で留学に来ているのがすごいなと褒められた時も、第一志望の大学に合格した時も、時給3000円のバイトに採用された時も、心の底から「嬉しい!」と思わなかった。嬉しいと感じられなかった。

歪んでいる性格だった。心の底から誰かに認められたいのに、努力してやっと認めてもらえる時になったら、「こんなもんか」と思ってしまう。目標を達成させて誰かに褒められたいという気持ちがあまりないかもしれない。私は、ただ、自分が努力している姿に惚れているだけ。自分が努力しているところから達成感を得ている。

だから、自分の予想通りにならなかった時は、パニックに陥ってしまい、自己嫌悪になってしまう。周りにどう言われても、自分のことを解放させることはない。

私は、自分に認めてもらいたい。なのに、自分のことを認めてあげることができない。林立している高層ビルが森に見えるこの都市に走っている風のように、心の中は自由に憧れていて、このコンクリートの森から逃げようとしても、結局同じところに帰ってしまう。世界は広いに見えるが、自分が居られるところは限られている。執念をぶち壊そうとしても、なかなかできない。

風は中身が見えないコンクリートの森の中を探検することを楽しがっているかもしれない。私は執念と共に生きていく。


by:xiao

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