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【人間観3】「わかっちゃいるけど、やめられない」

 確かに、中村うさぎ氏の事例は極端である。

 ブランド品に一年で二千万円遣う。一回で百万円分の服を買う。そういう人はあまりいない。
 しかし、中村氏と似たような傾向は、私達にもある。ダイエットすると決めたのに、つい目の前のお菓子を食べてしまう。決めたことがその場になると出来ない。そのような経験は多くの人にあるだろう。
 ここまでの論述で植木等氏の有名な歌を思い出した人も多いであろう。 

 チョイト一杯の つもりで飲んで
 いつの間にやら ハシゴ酒
 気がつきゃ ホームのベンチでゴロ寝
 これじゃ身体に いいわきゃないよ
 分かっちゃいるけど やめられねぇ

 (青島幸男作詞「スーダラ節」)

 「分かっちゃいるけど やめられねぇ」ことは多い。
 この話者は深酒に懲りている。だから、「チョイト一杯の つもりで飲んで」いる。つまり、酒をたくさん飲まない「つもり」なのだ。しかし、その「つもり」は守られない。「いつの間にやら ハシゴ酒」になり、最終的には「気がつきゃ ホームのベンチでゴロ寝」となる。深酒をしてしまっている。
 正に「分かっちゃいるけど やめられねぇ」である。
 僧侶である植木等氏の父はこの歌詞を次のように評した。

 「それに『スーダラ節』の文句は真理を突いているぞ。青島君は良いところに気がついた。あの歌詞には、親鸞の教えに通じるものがある……〔略〕……わかっちゃいるけど、やめられない。ここのところが人間の弱さを言い当てている。親鸞の生き方を見てみろ。葷酒山門に入るを許さずとか、肉食妻帯を許さずとか、そういうことをいろいろな人が言ったけれど、親鸞は自分の生き方を貫いた。おそらく親鸞は、そんな生き方を選ぶたびに、わかっちゃいるけどやめられない、と思ったことだろう。うん、青島君は、なかなかの詞を作った」
 
(植木等『夢を食いつづけた男 おやじ徹誠一代記』筑摩書房、Kindle本のためページ数不明)

 「わかっちゃいるけど、やめられない」は「人間の弱さ」である。
 もちろん、中村うさぎ氏も「わかっちゃいるけど、やめられない」のである。

 ……〔略〕……最初はワンピース一着の予定だったのに、気がつけばワンピース二着、ジャケット二着、セーター一枚、バッグ一個……合計金額が百万を越えた頃には、私は、結婚式で調子に乗って呑み過ぎたオヤジのごとく、完璧にデキ上がっておりましたわい。「ウィー、ヒック、ちくしょー、矢でも鉄砲でも持って来──い、ガッハッハ」てなもんだ。ちなみに、酒は一滴も呑んでない。シラフでここまでハイになれる人間を、私は自分以外に見たコトないね。

 ……〔略〕……

 そんなワケで、その日、シャネルとグッチで総額三百万円を越す大盤振舞をした女王様は、一夜明けて翌日、人が変わったように眉間にシワ寄せて自己嫌悪に苦しむのであった。これもまた、酔っ払いの宿酔いと同様、恒例の行事である。
 
(中村うさぎ『消費バカ一代 ショッピングの女王2』文藝春秋、Kindle本のためページ数不明)

 まるで「スーダラ節」をなぞっているかのような行動である。「ちょっと一枚のつもりで買って……気がつけば総額三百万」
 「わかっちゃいるけど、やめられない」は、人間に広く見られる一般的傾向である。
 一年の計は実現しない。ダイエットは成功しない。スポーツクラブに通うことは出来ない。
 このように目標が達成されないのはよくあることである。
 目標を定めても達成できない。
 それは、〈目標を立てる人〉と〈行動する人〉が「別人」だからである。〈わかっている人〉と〈やめられない人〉が「別人」だからである。
 人間の中に「二人の人」がいるからである。
 あなたの中にも「二人の人」がいるはずである。
 あなたにも「わかっちゃいるけど、やめられない」傾向があるはずである。

 

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