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映画感想『天気の子』

家出してきた少年が、東京という大都会に揉まれながら、愛する人と出会って恋をする。例え、世界を敵に回しても。
という、なんとも大層な純愛が繰り広げられましたけども、その部分はどこにでもあるありきたりな展開で、そこにどれだけ味付けをしていくかですよね。

ポスターめちゃワクワクします

雨が降り続けるという味付けと、願いを込めて晴れを呼び寄せる人間がいるという味付けは、見たことがないもので感動しました。これは実写や漫画ではできないですよね。何故なら、雨の場面が多すぎて、異常に暗い作品になってしまうから。ですが、新海誠監督だからできる、雨のバリエーションがアニメならではの多彩さで、小雨と大雨でも全く印象が違いましたし、日中の雨と、夜のネオンが光る雨でも風景が全く違って、小説を書く身として、雨にこんなにも種類があったとは、盲点過ぎましたね。

個人的によかったところは、雨の世界が続いていく中で、結局晴れた世界にならず、雨のまま終わっていくということです。大抵、雨は人の心や憂鬱な展開とリンクしていることが多く、人の心が晴れたり、憂鬱から抜け出したりすると、天気も晴れます。スラムダンクの山王戦とか。まぁ、ショーシャンクの空は別ですけど、今作もまた、雨で物語が終わります。でも、主人公たちの心は晴れている、といった、天気と人間が離されて物語が終わっていて、それはなんだか、自由意志というか、二人の独立性を感じられて好きな描写でした。

しかし、主人公帆高の動きには、作り手の思惑を感じてしまいましたね。あまりにも自分勝手で無謀です。これも、僕が歳を取ってつまらない感性に閉じ込められているからなんですかね、一途で無謀な少年に何の魅力も感じないです。突然警察から逃げ出した時も、無計画で知能を感じない行動に辟易し、同時に、でも何とかなるんだろうな、と作品の行末を予測できてしまいます。そう思ってしまう瞬間があると、この映画の楽しめてないなと思ってしまいます。

けれどもけれど、やっぱり凄まじい天気の映像表現はずるいですよね。空の上を落ちながら2人でイチャイチャする場面や、空の魚みたいな半透明の生物が2人を包んでいる光景は圧巻で、普通に感動してしまいました。それは、映像と音楽の迫力に感激させられた、という感じです。帆高と陽菜の関係は普通すぎてスルーしてしまいます。

本来、単純なストーリーは悪くありません。敵がいたら倒す。好きな人がいたら告白する。世界なんて雨でも降り続けてろ、陽菜と俺は仲良くやってるから、という帆高の選択もダークヒーロー的で好きですしね。ですが、昔のままの純愛は厳しくなっているのかもしれません。あるいは、昔の純愛は昔の作品が素晴らしくやり遂げました。純愛だって様々な形があるわけですから、古臭くない純愛を描くことだって可能だと思うんです。今作は、昔の純愛をそのまま軸に置いて、その周りを、最新の映像技術や、巷で人気の考察要素で固めましたが、僕には、逆にそれが恋愛ストーリーとしての古臭さを強調しているような気がして、引っかかりがあります。

僕は日本国民として恥ずべき少数派でして、『君の名は』を観たことがありません。
せっかく、なぜか天気の子から新海監督に触れたので、評判が恐ろしく高い稀代の名作も観ようと思います!





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