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映画感想『メッセージ』

ネタバレ気にせず


SFかと思いきや、壮絶な運命論にまつわる思考実験のような映画でした。

ありきたりかもしれませんが、この映画を観て考えるのは、これ以上考えるのはやめてとにかく頑張ろう、という一種逃避のような決意です。

僕は僕の人生を現在進行形で切り開きたいと考えています。いつかより良い小説を書けるように今もパソコンに向かい続けますし、より良い生活ができるように日々を生きています。それは全て、今の行動が将来に影響を与えると信じているからです。

しかし物理の世界で言われているように、そしてこの映画で言われているように、時間というものが必ずしも一定方向に流れていないという考え方もあります。昨日は今日であり、今日は明日であるのです。要するに時間の概念がなくなり、過去も未来も全部決まっているという話になります。

僕が今小説を書いたって、それが原因で将来より良い小説が書けるようになるという因果関係はなくなります。より良い小説が書けないという未来がそこにあって、僕はただそこに向かって定められた道を進むだけです。今頑張っても無駄です。あるいは、小説を書こうと思った日があって今があるような気がしていても、それは今小説を書いているという現実があるから起こった事象に過ぎないのかもしれません。

映画ではその部分がクライマックスでしたね。未確認の生命体からの理解不能のメッセージを解読できたのは、自分の未来でした。解読できた自分が未来にいるということは、今も解読できなければいけません。

結局解読できるなら別に心配しなくてもいいやん、と思ってしまうのですが、解読できるということは、心配して動いていなければならないということにもなり、となると、自分の意思というものが存在しなくなってしまいます。自分で決めて行動しているのではなく、決められた行動をしているだけです。

?????頭がこんがらがっていきます。


映画の終盤で、主人公が離婚して子供を失うという記憶が未来のものであったとわかります。ここは映画のカラクリの面白さがありましたね。僕たちは過去から現在を経て未来へと進むことしかできない生物なので、てっきり離婚して子供を泣くす場面は過去の話であると思ってしまいます。
本来ならば、離婚して子供を失う未来など見えません。見えないからこそ結婚や出産ができるのかも、しれません。
主人公は見えています。残酷ですよね。
絶対に未来は変わりません。これは予言や可変の余地ではなく、時間軸の問題なのです。
僕たちにとっての未来は、ただそこにあるだけのものです。

それでも主人公は今の気持ちを選びます。今の幸せに身を委ねるのです。ここで優美なBGMが流れて、僕たちは感動します....


が、今の気持ちなんてあるのでしょうか。
行動が決められているのなら、その動機となる心境だったり、行動による心の変化ですら定められたものだったりはしないでしょうか。

そう思うと急に疲れや、運命に対する怒りが芽生えますが、それすらも決められた心の変化なのかもしれません、結局。

なので僕は映画のラストシーンのBGMのように、運命を感じながらも目を背けて、今日も頑張って生きていくのです。

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