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日本のはじまりの島という「淡路島」

今回、車を借りて明石海峡大橋を渡り淡路島に。

きっかけは、NHKの「ブラタモリ」という番組で2回にわたる淡路島の放送を見たこと。567が落ち着いたら行ってみたいと思うようになり。。。

「古事記」「日本書紀」に国土創造の夫婦神として現れる伊弉諾尊いざなぎのみこと伊弉冉尊いざなみのみことが漂っていた大地を完成させるためかきまわして雫を落としたところが島(おのころ島)となり、夫婦はその島に降りて夫婦の契りを結んで国生みをしたとの伝承。

なんとその島が淡路島の南東にある小さな島、沼島ぬしま、日本で最初に出来た島なのです。

その後、淡路島を初めに、四国・隠岐・九州・壱岐・対馬・佐渡・本州、と「大八洲国おおやしまのくに」という国土を生みました。


番組では、大和政権にとって重要な場所だったことや今年新種の恐竜の化石(その名もイザナギー🤭)が発見されたことなど様々な理由があげられてましたが、今回は時間的な都合もあり、伊弉諾神宮いざなぎじんぐう五斗長垣内遺跡ごっさかいといせきに行ってみました。


伊弉諾神宮

伊弉諾神宮は、伊弉諾大神いざなぎのおおかみが国生みの大業の後、神権を御子神である天照大御神あまてらすおおみかみに譲り、余生を過ごした場所。

だからこそ、神社の中でも天皇や皇室の祖先人を祀る格式の高い「神宮」なのですね。


大鳥居

阪神淡路大震災で倒壊し再建されたものですが、花崗岩の神明型鳥居としては全国最大級。

伊弉諾神宮


陽の道しるべ

下の写真の場所の向かい側に陽の道しるべがありましたが、夢中になって見てしまい大切な写真を撮り忘れました😭

「陽の道しるべ」とは、伊弉諾神宮を中心として太陽の運行を示すモニュメントなのですが、見ると驚きます。

同緯度の東側に伊勢神宮(内宮)があり、夏至の日没は出雲大社冬至の日没は高千穂神社そのほか熊野大社や諏訪大社などの中心に位置していることがわかり古代のロマンを感じることができます。

伊弉諾神宮2


正門

格式の高い正門をくぐると拝殿が見えてきます。

伊弉諾神宮3


拝殿

この拝殿の後ろに日本書紀に書かれている伊弉諾大神いざなぎのおおかみが淡路島に帰って余生を過ごされた本殿、幽宮かくりのみやがあります。

伊弉諾神宮本殿


夫婦大楠

御神木(樹齢約900年、胸高周囲8.5m)。
元は二本の楠がいつしか根を合わせて一株に成長したものですが、伊弉諾大神のお姿を映したようですね。

夫婦大楠



五斗長垣内遺跡ごっさかいといせき

この遺跡は、弥生時代後期(1~2世紀頃)約1800年前に鉄製の道具(矢じりなど)を作る工房として栄えた国内最大級の村

発見された竪穴式建物23棟のうち12棟が鍛冶工房建物だったようです。

当時、ふいごを使い約1,000℃以上で鍛冶をしていたというから驚き😲
最高の武器にもなる鉄は権力の象徴だったから、重要な場所だったのでしょう。

中国の「魏志倭人伝」には、2世紀後半に邪馬台国の女王「卑弥呼」登場のきっかけとなった「倭国大乱」の記事があるそうです。

それにしても眺めに良い場所。
今でいう眺めのいい高級住宅街やタワーマンション最上階といったところでしょうか🤭

いやいや、そんな悠長なことを言わないで😤 外敵に襲われないためですから!

五斗長垣内遺跡眺め

竪穴式建物(鍛冶場)の外観

五斗長垣内遺跡

竪穴式建物の内部(作業場)

竪穴式建物の中には、工房跡の地面には焼けて赤くなった土がいまだに残ってます。

また、鍛冶作業に使った叩き石や台石や砥石の道具や、100点を超える鉄器や鉄斧も発見されています。

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どうやら鍛冶の技術は朝鮮半島から渡ってきたようで、この場所には航海術に長けた人達が集まってこの鍛冶工房の村をつくったようです。

日本書紀にも「海人あま」として記されているそうです。


おまけ

明石海峡大橋の外観
本州と淡路島を結ぶ「ギネス世界記録」にも認定されている全長3,911mの世界最長の吊り橋。

明石海峡大橋

明石海峡大橋上(片側3車線)

明石海峡大橋道路


最期に

淡路島は、遥か昔に学んだことのある「古事記」「日本書紀」「魏志倭人伝」など懐かしい文献での歴史ロマンを感じる旅となりました。

いまでこそ淡路島は本州と四国を繋ぐ橋も出来て関西地区から日帰り圏内と便利になりましたが😆


伊弉諾神宮の陽の道しるべには本当に驚かされます。
この場所の位置、具体的に創建された年代がわからないとしてもGPSの無い時代に伊勢神宮や出雲大社や熊野大社などの神社の中心にあるというのは神がかりの行いとしか考えられません(あ、神がかりでした😆)。

五斗長垣内遺跡資料館には100年以上も続いた遺跡と紹介がありましたが、わたしとしては長い歴史上なぜたった100年ぐらいしか続かなかったのか、どのように滅びたのかを知りたかったです。

今も昔も同じことを同じ場所で続けていくことは難しいのですね。


淡路島は見どころも多く、本当は一泊して沼島(おのころ島)にも行きたかったのですが、次回の楽しみにしておきます。


最後までお読みいただきありがとうございました。


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