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「玉の輿伝説」発祥の地⁉

玉の輿たまのこしという言葉、もう死語なのかなと思うけど、この「玉の輿」の名の由来の地にわたしは偶然足を運んでいたんです。

そこは、京都西山に建つ善峯寺よしみねでら
先日、京都東山に建つ「清水寺」に朝早く参拝して静寂の時間を味わえたことに気を好くして、「善峯寺」にも朝早くお参り。

善峯寺 仁王門

土曜日にもかかわらず参拝者は本堂近くに数人ほどしかいない。
境内3万坪の回遊式庭園なだけに、散策している間に何人の参拝者に出会うだろうか?と思いながら歩く。

ほどなく、美しい菊の花に紅葉のトンネルの参道があり、「善峯寺奥の院 出世薬師如来」と書いた石柱が目に入る。

「清水寺」でも「出世大黒天」がお出迎えしてくださったが、出世に縁がないと思うわたしに天から京都市の東山と西山からお声がかかったような。。。😮

出世薬師如来への径

歩を進めると、一眼レフのカメラを持った女性が一人、また一人、と一人で参拝している女性3人と出会う。
出世の願いが目的?、それとも美しい景観だから?、と思いつつ約1時間の参拝(通常は30~40分)を終え、お寺を出て車の中で調べてみる。

善峯寺のHPには、「出世薬師如来の由来は、徳川5代将軍綱吉の生母桂昌院出生の由緒により玉の輿へと導いたという、開運出世のご利益を授かる」と。

さらに調べると、詳しいことがわかった。

京都堀川で八百屋を営む仁右衛門は、女の子が欲しいと幾度も善峯寺にお参りしてお願いをしていた。
その願いが通じ、女の子が生まれ「お玉」と呼んだ。
お玉は格が高く由緒ある京都西陣の本庄家の養女となり輿こしに乗って江戸に行った
12歳で徳川3代将軍家光の側室である永光院に仕え、その後家光に見初められて側室となり、18歳で後に将軍となる綱吉を生んだ
その後、家光が亡くなり、4代将軍家綱が亡くなり、綱吉が将軍に就くと53歳で江戸城に呼ばれて入る
57歳の時に従三位75歳の時には女性最高位である従一位の官位を与えられた。

諸説あり

桂昌院は、善峯寺の復興に貢献しながら71歳の時に歌を献じています。
善峯寺のご詠歌を詠むと、桂昌院は善峯寺に願をかけ自分を産んでくれた父親にどれほどまでに感謝しているかがわかります。

たらちをの 願いをこめし 寺なれば われも忘れじ 南無薬師仏

善峯寺のご詠歌  「たらちを」とは実父のこと

これが、「玉の輿」。
お玉が輿に乗って江戸に行き、どんどん出世していく話。
それも、父親への感謝、薬師如来への帰依があってこそ。

あの女性たちは「玉の輿」を願ってお参りしてたんですね。

美しい善峯寺の画像を掲載します。

紅葉はまだらだけど、カラフルで美しい景色
日本一と言われる遊龍の松から本堂を臨む 松の枝はまさに龍のよう
遊龍の松は、樹齢600年以上、全長37m、国の天然記念物 画像に収まらない😣
遊龍の松越しに京都市内を臨む
薬師堂への径
帰り道


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