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コロナと母

はじめまして。

私は、人と人やアートを繋ぐコラボレーターを生業にしています。

30代も後半になり、今まで自分がやってきたことや考えたことをまとめるnoteをつくることにしました。

学生時代に小劇場にどっぷり入りこみ、そのまま下北沢あたりで自由奔放な20代を過ごしましたが、震災を機に富山へUターン。舞台業界から一旦離れたものの地元の公共ホールの市民参加型舞台でのアルバイトでがきっかけで水戸芸術館へ転職。今は合同会社syuz'genというアートマネージャーのチームで働いています。

……と、ここからの続きを書いていたけれど、この3週間で世界が大きく変わってしまいました。

ビル・ゲイツが5年前に「世界の脅威は核ではなくウィルス」と言っていた通り(https://www.youtube.com/watch?v=6Af6b_wyiwI)、現実にウィルスが世界を揺るがす状況になってしまった。

ニュースでビル・ゲイツの言葉を見て「世界中の人を殺すのは、戦争じゃなくウィルスがひとつあればいい。」というのは、私の母の幼い頃からの教えでもあったな、と思い出しました。

母は臨床検査技師でした。

検査技師は医療の現場で血液・尿などの検査や心電図・脳波測定などの生理学的検査を行う仕事で、私の家族にとってはどの医師よりも母が1番の相談医でした。3人の子育てをしながらずっと現場に出て、介護のために引退してからもボランティアでHIV検査をしたりと仕事に生きがいをもっていました。今考えると働く母は私の目標なのだと思います。

そんな母も自分のことは過信していたのか、検査を怠り大病をしたことがあります。家族の落ち込み以上に「なんであの時…」といつも仕事に誇りをもっていた母が自分を責めていた姿にショックを受けました。

今回のコロナウィルスは「自分はウィルスなんて関係ない、大丈夫」と思って行動したことで自分が感染させる側にも、感染をしてしまう側にもどちらにもなり得ます。

誰かの大切な人を奪うかもしれないし、自分の大切な人を失う原因になってしまうかもしれない。

母の「なんであの時…」という姿が自身に重なり、行動を支えてくれています。


私の携わる文化芸術の分野は特にこの状況下で大きな影響を受けました。

イベントを開催しても自粛しても、どちらも大きなリスクが伴います。開催しないと収入がないので家族や仲間が食べていけない。でも、開催したらもっと多くの方の命を奪うかもしれない。

どちらも大切な命。命より大切なものはない。選ぶとしたらどっち?

そんな決断をたくさん見ました。


母の病気は乳がんでした。

コロナの騒動で「本当は検査をするのが怖かった」と初めて聞きました。

怪しいとは思っていたけれど行動できなかった。まだ40歳になったばかりで、3人の幼い子がいるのに自らの死と向き合えなかった、と。

まだ40歳の女性としては苦しい決断である乳房を失うことと命を選択することになった母の心情を容易に理解しているとはいえませんが、どちらも苦しく正しい道だったと思います。

その時の決断で、現在は幸運にも寛解を経て完治と言ってもいい状態になりましたが、乳房を失ってもなお、苦しい治療と再発への恐怖と闘う母を見て、何が正しいのかわからなくなったことが何度もありました。

しかし、今、母が元気で生きてくれている。私も家族も望んだ未来がここにあります。


正しさはひとつではありません。大切なものも人ぞれぞれであるはずです。今の状況の議論や情報を見ていると、ひとつの正しさを追い求め過ぎているように感じています。

ただただ、後悔しない決断と行動をひとり一人がして自分の大切なものを守り、目には見えない周囲の人の大切なものを想像することが明日をつくるのではないでしょうか。

今日もコロナのニュースを片目にしながら、大切なひとと話ができる明日をつくることを考えています。


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