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『しくじり漫画先生に学ぶ正しい夢の叶え方』⑬


執着を手放すということ

 失敗が大きければ大きいほど、その傷は完全に塞がることはなく、どれだけ月日が経ってもジュクジュクしてしまいます。
 つらいですよね。めちゃくちゃ分かります。
 
 他者の成功に嫉妬してしまったり、他者の作品を偉そうに評価してしまったり…。本当はそんなことしたくないのに、気づいたら黒い感情が溢れてしまう。死ぬまでこんな感情がつきまとうのかと絶望する。
 
 その呪縛から自由になるには、過去の失敗もみっともない部分も全部含めて、ありのままの自分を丸っと受け入れるしか方法はないと思います。
 それは、抱いている憧れの理想像を手放すことです。
 
 私であれば、「漫画家になりたい」を手放すということでした。

 「夢なんかとっくに諦めてるよ」っていう方も居るかと思いますが、傷がジュクジュクするのは、完全に手放せていないということです。

 つまり、今現在の自分を、すべては受け入れられていないということです。
未だに過去の失敗を責め続けている状態です。
 「あの時こうしていれば」「もっと努力していれば」って。

 お伝えしているように、「漫画家になりたい」というかつての私の夢は、本当は「私の漫画で世界じゅうの人を感動させたい」という目的を達成するための手段だったんですね。
 そして、私が徹底的に自分自身と向き合って、失敗も欠点も丸ごと受け入れることができたときに、気づいてしまったんです。
 
 私が、私という素材を活かして世界じゅうの人を感動させるための最善の手段は、必ずしも漫画ではないのかもしれないと。

 絵や漫画のスキルは、私の持つ無数のアイテムのなかの一つでしかありません。
 その目的を達成するために、どのアイテムを使うのか。
 世界じゅうの人を感動させるために一番有効な自分のアイテムが、必ずしも漫画であるとは限らないのです。

 もちろん、そもそも「漫画を描くのが好き」だから、自然に漫画という手段をとっていた訳ですが、実は、「自分にはこのアイテムしかない」と思い込んでいただけかもしれません。

 こうして、自分のすべてだと思い込んでいたものを一アイテムとして認識すると、自分がどれだけ沢山のアイテムを持っているのかを俯瞰して見ることができるようになります。つまり、使えるコマが増えるのです。
 さらに、そのアイテムの性質を客観的に把握できるようになります。

 それは、より有効的にそのアイテムを使いこなすことができるようになるということです。 

 そうして「漫画のスキル」というアイテムを冷静に取り扱えるようになり、私は40歳をすぎて、ようやく自分らしい漫画を描くことができるようになりました。

 漫画というものが、私のなかで絶対的なものではなくなり、俯瞰して自分の持ち物を見たときに、「ああ、やっぱり私は漫画が好きなんだなぁ」と、改めて実感することができました。(何だか、メンヘラ寄りの恋愛に似てますね笑)

 とにかく、「漫画家になりたい」を手放して、はじめて私は本当の意味で漫画を描くことができるようになったのです。 

 あの頃思い描いた、週刊連載をバリバリこなす売れっ子の漫画家とは程遠いですが、私は今、望んだ場所で、望んだ仕事をして、望んだ生活を送っています。 

 海と山のある自然豊かな土地へ移住し、農業を始め、デジタルでの漫画・イラスト制作のスキルを0から習得し、理想のアトリエをつくって開業しました。
 そして今は、里山の美しい風景を眺めながら、毎日絵や漫画を描いて暮らしています。
 
 まだまだ叶えたい夢はいっぱいあります。そして一つ叶えると、また一つ夢は増えます。決して終わりはありません。

 「私の漫画で世界じゅうの人を感動させたい」も
 「私の失敗スキルを活かして、一人でも多くの夢追い人を応援したい」も、まだまだ夢の途中です。
 そんな夢たちを、この先どう叶えていくのか、本当にワクワクします。
 
 まるで、どこまでも続く美しい大海原に、これから漕ぎ出していくようなワクワク感です。

 目の前に、本当はこんな素敵な世界が広がっていたことを、私はつい数年前まで気づけませんでした。 
 
 「漫画で大成しなければならない」という過去の自分が課した、設置理由のよく分からない巨大なハードルを撤去してみると、その先には、そんな嘘みたいな絶景と、冒険の世界が広がっていたのです。

 本当は、誰の目の前にも、可能性は広がっているのです。世界を狭くし、可能性を潰していたのは、他でもない自分自身だったのです。

 時に、漕ぎ出した船に向かって、親切にも誰かが言うかもしれません。

 「縁もゆかりもない土地に移住なんて無茶だよ。」
 「田舎には仕事がないよ。」
 「経験0で農業始めるなんて正気?」
 「いい歳して、まだ夢見てるの?」
 「好きなことを仕事になんてできないよ。」
 「え、まだ漫画描いてたの?WWW」

 全部私が言われた言葉たちですが笑、こんなことを言われると、「やっぱり私には無理かも」って、せっかくのワクワクが、シュンとしぼんでしまいますよね。
 
 とたんに海が怖ろしくなって、船出は取り止めて、やっぱり陸に帰ろうかなとも思うかもしれません。

 あなたのことを大切に思うあまりの忠告や助言なのかもしれません。だけど、そこにどれだけの愛や親しみがあろうと、さらには、その意見にどれだけ深い根拠があろうと、他者の言うことはすべて「無責任」なのです。
 
 例えば、あなたが負った傷の痛みは100%あなたのものです。1%だって他者に譲ることはできません。つまり、あなたの身に起こる結果について、他の誰も、ほんのちょっとも責任は負えないのです。

 責任を負えないから、、その人にとって一番責任のない方策を提案します。
 それが、「止めた方がいいよ」なのです。

 責任の負いようがないという意味で、「あなた」に関して「他者」は「無責任」なのです。 

 私の責任は、100%私のもの。
 100%の責任を負うと決めている私の可能性は、100%でしかありません。

 だって、どうにかして「そうする」と「私が」決めているのだから。 

 航海を楽しむと決めるのも私。ケガをするのも苦しい思いをするのも、危機を乗り切るのもすべて私。 

 そこに他者の存在は関係ありません。誰が何を言おうと、あなたがそれにどう影響を受けようと、それによって道を変更したとしても、それはすべてあなたが決めたことです。

 つまり、どこへ進むにせよ何をするにせよ、あなたの最高責任者であるあなたが決めたことなら、絶対に大丈夫ということです。

 あなたが自分で自分の人生を引き受ける覚悟をしたとき、目の前には、想像もしなかった絶景が広がっているはずです。

#創作大賞2024 #コミックエッセイ部門


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