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伊能忠敬記念館に行ってきました。

絵日記風に描きました

思い起こせば、もう半年前の2月のことになってしまいますが、伊能忠敬記念館(千葉県香取市)に行ってきました。

佐倉の国立歴史民俗博物館に行く計画を職場で仲間に話したら、「ぜひ、伊能忠敬記念館へも足を伸ばして!」と、職場のお姉さんに強くお勧めされたので決行。

千葉内の移動はサクッと行けるのかと思ったら、グーグル先生の地図を見ても、ビビってしまうほど広大な房総半島!
でも、誰との約束もない一人旅です。千葉をウロウロしてやろうじゃないの!の、一発目の伊能忠敬記念館なのでした。

伊能忠敬先生というのは江戸時代に日本地図を作った方というのは有名です。アナログ技術しかない江戸時代に素晴らしい精度で壮大な事業をおこなった方という言い方だけでは言葉が全然足りません。

記念館に行っていただければ、伊能先生の人となりや精神力や、それが発露してきた生い立ちもわかります。

測量方の旗!テンションが上がります

17歳で伊能家の婿養子に入り、ご本人は酒を飲まないのに事業では酒も扱い隠居までに家業を3倍にします。ビジネスマンです。

忠敬が婿入りした伊能家は、村の歴史編纂を請け負うなど、知的な家だったようです。忠敬青年が伊能家のたくさんの蔵書や義理父やご隠居との知的な会話に胸を躍らされた様子が目に浮かびます。

そして、伊能先生。とにかく真面目一辺倒の「貫く男」だったようです。
数多く残る書簡に、そんな気配が見え隠れします。

実は、わたしの父も測量やら土木施工やら建築やら造園やら、そういうことを生業にしていました。職人の真面目ゆえ融通の効かない気質を間近で見て、娘としては迷惑こうむる場面もありましたが、そんなこともあって、なんとなく伊能先生には勝手ながら親近感を覚えてしまうのでありました。

記念館は写真撮影禁止だったので、ガン見とメモ!しかし、わたしのミミズ文字の記録はあとになって再現性が不明なので、やっぱり展示品の図録が欲しい、、、と思いましたが、記念館のエントランスもコロナの影響で消毒コーナーとなっており特に販売物はなし。ションボリです。

展示物は忠敬の使っていた測量道具や、大きな大きな伊能図の展示。
測量道具は理論の説明などもあり、今、私が遺跡発掘業務の測量で慣れ親しんでいるものと形は違いますが、なるほど!の連発。

伊能忠敬の作った地図の驚くほどの正確性はよく言われています。
それは地図を作ろうとしていたのではなく、地球の正確な大きさを知りたいと言うところから出発して、天体の動きも念頭に置いた測量をしたからだそうです。
緯度派ピッタリ。でも、実は経度が少しずれています。
それは、当時正確な時間を知る術がなかったからだそうで、当時の技術の限界。そこまで到達したことが偉業です。
そして、時間と地面がリンクしている、その神秘に挑んだ伊能先生!その事実に震えます。

そして伊能図!でかい!!その中にあるドットを落とした針の穴を目の当たりにすると、その細かさに震えます!
全てをメモしようとしましたが、無理!と諦めて、感動でフラフラとした足どりで、今も残る伊能家に移動。伊能先生が過ごしたであろう部屋や立派な蔵を見て、さらなるフラフラ!

見るからに、楽しそうでしょ

その後は、佐原の街並みを一周して、古くからの蔵を改装した雑貨屋さんなど素敵な民芸品に、今度はクラクラ。そぞろ歩きに大変楽しい一帯でした。

で、京成千葉駅の駅ビル直結のビジネスホテルに一泊して、次の日に、佐倉の国立歴史民俗博物館に行ったのです(土地勘がある人ならなんと無駄な旅程!と可笑しいことでしょう)が、なんと、そこの全国の博物館図録コーナーで、「伊能忠敬記念館図録」を販売しているのを見つけ、感動で震え購入しました。
この図録がまたすごい!記念館の収蔵品を追えるだけじゃなく、忠敬の生涯や、測量の説明、生前の書簡の説明など、読み物としても秀逸です。デザインも素敵です。

国宝 伊能忠敬関係資料
発行 伊能忠敬記念館 

「みなさんも、機会があったら、ぜひ、訪れて見てくださいね。」などと、言うつもりはありません。
伊能忠敬愛が炸裂している人、そんな選ばれたあなたの事を絶対に裏切らない聖地です。








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