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サハリン2開発に反対した私が、今サハリン2からの撤退に反対するわけ④

さて、このnoteを書くにいたった趣旨をふりかえると、
1)2月24日のウクライナ侵攻を受け、経済制裁の一環として、ロシアの主要な収入源であるエネルギー資源からの脱却が求められている。

2)日本では、ロシアのサハリンにある石油・天然ガス事業に権益を有しているが、日本政府は「エネルギー安全保障上、極めて重要なプロジェクト」として「撤退しない」と表明している(先行きは不透明)。

3)天然ガスの約6割が日本に運ばれている「サハリン2」(三井・三菱が参画)では、開発中(1990年代後半~2008年)に深刻な環境・社会問題が生じ、地元住民や国内外の市民社会から大きな批判を受けた。(私は当時、国際環境NGOのスタッフとして、サハリン2の環境・社会配慮の向上を訴え、米・欧・日の公的金融機関に対し、融資の撤退を求めた経験がある。最終的に、日本の国際協力銀行(JBIC)以外の公的金融機関は撤退した)

4)開発当時の経緯も振り返りつつ、今回、ロシアによる残虐行為を止めるために「日本はサハリン2から撤退すべきか否か」を考えた。結論として、「サハリン2から撤退した場合の効果が得られるか疑問である。むしろ欧米に追従することによって、隣国ロシアとの関係を悪化させるリスクの方が高い。日本はむしろ停戦に向け、あらゆるパイプを通して独自の外交を尽くすべき」と考えた。

このnoteのタイトルにした「サハリン2開発に反対した私が、今サハリン2からの撤退に反対するわけ」の答えとしては、開発時の環境・社会基準の遵守という観点からいえば、サハリン2は容認できないプロジェクトであったし、ロシア側の収益が現在のプーチン政権を支えているという点もとうてい看過できない問題だが、争いを阻止する手段としての撤退については、隣国ロシアとの関係悪化、核の危機の増大を招きかねず、支持できないといったところだろうか。

①~③では、この結論に至るまでに考えたあれこれ(以下)を書いた。
・そもそも経済制裁の効果が期待できそうにない
・広範な国際的な連帯の構築に失敗している
・米国にはすぐに停戦に持ち込むつもりがない
・これでは核の危機に立ち向かえない
・日本は欧米に前のめりに追従するのではなく(米国の防波堤であることをいったん離れ)、独自の外交をすべき。その時、緩衝国や中立国であることの意義を考えたい。

直面しているのは「核の危機」「気候変動の危機」「人類相互依存の危機」

「では、日本はどのような行動をとることができるのか」という問いを考えるにあたって、複数の問題がからみあう中、人類はいま3つの危機に直面しているととらえ、その一つ一つに向き合うことが解決への糸口になるのではないかと思うにいたった。私の頭に浮かんだ3つの危機は、「核の危機」「気候変動の危機」「人類相互依存の危機」だった。

(1)「核の危機」に向き合う

核の危機についてはこのnoteの③で述べたように、まず、「力」と「力」で対立することを避けるために、あらゆる外交努力を重ねるしかない。被爆国の日本には、重要な役割がある。

今回のロシアのふるまいで、核の管理を一国のリーダーにゆだねることの脅威は明白となった。こうした脅威を取り除くための新しい国際的な枠組みを議論していく場として、6月21日からウィーンで開催される核兵器禁止条約の第一回締約国会議が注目される。

核兵器禁止条約は2017年7月に採択された際、国連加盟国の6割を超える122カ国が賛成した。周知のとおり、日本は核保有国とともに条約に署名・批准していない。核廃絶に向け、世界の大多数の国が集う6月の締約国会議に、日本がオブザーバー参加すらしないというのは説明がつかない。日本が一歩踏み出すことを世界が注視している。【関連記事1】【関連記事2】

(2)「気候危機」に向き合う

サハリン2から撤退しないからといって、日本のエネルギー安全保障上の問題を回避できるわけではもちろんない。「気候危機」は「核の危機」とならぶ現代の危機であり、未来世代のために、私たちは一日も早い化石燃料からの脱却が求められている。

noteの①の(4)で記したように、社会的な弱者に配慮をしながら、まずは省エネを徹底し、再エネ導入を加速するスピードを一層早めていく。今ならまだ「計画的に」実行ができるはずだ。日本のエネルギー政策は、原発再稼動や化石燃料の利用にこだわりつづけ、再エネ導入が遅れている。大胆なエネルギー転換を選択する政治が求められる。

ちなみに「天然ガスはクリーンエネルギー」という見方がなされるが、サハリン2の事例でもそうであったように、なぜ開発そのものの環境影響が考慮されないのか不思議でならない。森林を大規模伐採して設置されるメガソーラーなども同様だ。「気候危機」への対処であっても、地域社会や生物多様性の健全性があってこそであり、そこを見失っては本末転倒になる。

余談だが、日本はサハリン1と2の他に、ロシアの北極圏でのアークティックLNG2という開発にも権益を持っている(三井物産・JOGMEGで10%、JBICが2,000億円規模の協調融資を実施)。このプロジェクトは、地球温暖化で北極海の海氷が溶けたのを好機ととらえ、開発を行い、砕氷船をつかって氷を砕きながら液化天然ガス(LNG)を運航するというものだ。

「北極海航路」と呼ばれるこのルートをつかうと、運航距離が短縮できることから、「温室効果ガスの排出削減に寄与する」「天然ガスは環境負荷の小さいエネルギー」などと広報されているのを見ると、人間の業の深さを感じずにはいられない。

結局は、運航費を安くあげるために、北極海の氷が解けることを良しとする事業だ。さらに氷の海で事故が起きたらどうするのだろうか。環境面でまったく不適合(アンエシカル、非倫理的)なプロジェクトとしか私には思えない。

(3)「人類相互依存の危機」に向き合う

ロシアのウクライナ侵攻直後、それに反対する広範な国際社会の連帯の構築が必須であり、特に中国の動向が注目された。侵攻直後の3月に中国の政府系シンクタンクの政治学者・胡偉氏が発表した論文は大変興味深いものだった。【関連記事】

胡偉氏はこの論文で「現在のプーチン氏にとって最善の選択は、和平交渉を通じて戦争を終わらせること」だとして、習近平ら中国の最高指導部に対し、「表面上の中立が賢い選択である場合もあるが、この戦争には当てはまらない」、「中立を保つことをあきらめ、世界の主流の立場(西側諸国)を選ぶこと」を提言している。

この論文は、指導部の外交姿勢と相いれなかったため、インターネットから削除されたというが、ではその後、中国がどのような姿勢を取ったかというとまさに「中立」だった。

侵攻後初の米中電話会談(3月18日)で、習氏はバイデン氏に対し、「全方位、無差別の制裁実施で苦しむのは庶民だ」と異論を唱えたうえで、「国家の関係が武力行使まで進んではならず、衝突や対抗は誰の利益にもならない」として「中米関係を正しい軌道に沿って発展させるだけでなく、果たすべき国際的責任を担い、世界の平和と平穏のために努力しなければならない」と主張している。

いたってまともな発言ではないだろうか? この時点で、やりようによっては、中国と共同歩調を取ることは十分に可能であったはずだ。

にもかかわらず、この危機を前に、米国や日本が見せた対中外交は、歩み寄るどころか、「台湾有事」のアナロジー(類推)にとらわれ、中国をけん制する敵対的なものであった。連日の報道も、中国が今にもロシアと同じ行動を台湾に対して取りかねないと思わせるような過剰なものだった。

中立を保とうとする重要国まで敵に回してどうするのだろうか? あたかも「類推」が「現実」となるように、こちらの側から引き寄せているようにすら思えた。このあたりで、「戦争とはこのようにして起こりうるのか」と暗澹たる思いになった。そんなときに頭に浮かんだのが「人類相互依存の危機」という言葉だった。

「人類相互依存(interdependence)」は、もともと核兵器廃絶を求める運動の中で使われていたものだが、まさに今、恐怖にあおられて疑心暗鬼に陥るのではなく、人類の未来は「相互依存なくしてありえない」ということを想起すべきタイミングにあると感じる。このことは、国同士の関係においてのみならず、個人の身の回りの人間関係においても、改めて見つめなおす意味があるのではないか(⑤最終回につづく)。


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