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円陣は汗臭いけど、きっと良いものだった。

仲のいい男友達と飲んでいた。
居酒屋で飲んで、帰りに公園で喋って、
ダラダラ帰った。

何を話したかは覚えていないけれど、
とにかく楽しい時間だった。

男友達というけれど、女友達とは言わない。

いつからだろう。
男友達が友達のなかでも「男友達」になったのは。

そんなことを考えていると、
中学のときのことを思い出した。


中学生まで野球をやっていた。当時、女子で野球をやっている子は珍しくて、部活でも女子は一人だった。だけど、少年野球の時から女子ひとりでやっていた私にとって、それは野球部に入らない理由にはならなかった。


小学生の頃、友達は男子ばかりだった。
休み時間はドッジボール、放課後は野球やサッカー。
ゲームはそこまで好きだったわけではないけれど、
友達がやっていたので、親に買ってもらった。


特に、小5から始めた少年野球の仲間とは、
夏休み毎日のように遊んでいた。


ただ、どのタイミングだったかはよく覚えていないけれど、
高学年になって、少しづつ女子の友達が増えていた。
何だか、女子と話しているほうが楽しいということに気づいた。


中学生になると、男子は学ランを着て、女子はブレザーを着て、何だか急によそよそしくなった。
話しかけても、無視されることもあった。
ついこの間まで、楽しく遊んでいた野球部の仲間と何故か話せなくなった。

多分、もう一つの小学校から来た部員のほうが多くて、「女子と仲良くしてる」のがダメだったんだと思う。とっても悲しくて、家に帰って泣いていた。

担任の先生に、相談すると

「やめるのは逃げじゃない」というようなことを言われた。

野球はしたかった。それに、「あんなに仲良かったみんな」のことも諦められなかった。

結局野球部は辞めなかった。


クラスでは、女の子の友達がたくさんできた。1D(ワンダイレクション)の話とか、嵐の話とか、恋バナとか、授業中に手紙回したりした。新しい友達とも気が合って、家に帰ってもしょっちゅうメールをしていた。

5限の授業が終わると憂鬱な気分になった。帰りのホームルームは暗い気分になった。野球は好きだけど、部活の時間は楽しみではなかった。

中学2年生はいわゆる男女グループで遊んでいた。いわゆるキラキラしてるやつ。1年生の時よりも、男女の仲が縮まっていた。みんなで天体観測の替え歌を歌っていたのをよく覚えている。クラスでは、いわゆる陽キャラだった。初めての彼氏もできた。みんなが「女子一人で頑張っている」私を応援してくれた。練習着に着替えてトイレを出るときは、一瞬びっくりされていたけど。


その頃から少しずつ、部員と会話ができるようになった。
特にキャッチボールでペアの子とはよく話せるようになった。

1年も毎日ウォーミングアップのキャッチボールをしているのに、
遅すぎるけれど。

キャッチボールの相手はいつも決まってた。私とペアになった男の子だって、別に私とペアになりたくなかったと思う。だけど、人数が偶数で、誰かは私と組まなきゃいけなかった。

中二の夏。先輩が引退して、私たちの代になった。

なんだか、みんなが話しかけてくれるようになった。
円陣もちゃんと入れるようになった。

ちょっと外側にいると「宮地もちゃんと入れてあげろよ」っていってくれるメンバーがいた。

円陣はちゃんと入ると汗臭かった。でも嬉しかった。


中3になった。親友は超のつくギャルだった。ギャルだったし、勉強は嫌がっていたけど、頭の回転が早くて面白い子だった。今もインスタで繋がっているけど、成人式の時は声を掛けることができなかった。これ見てくれないかな。久しぶりに連絡してみたい。

とにかく友達がたくさんいた。でも友達といえば、女子になった。

背番号は十番をもらった。野球は9人のスポーツだから、十番はベンチの中で一番番号が浅い。嬉しかったけど、実力ではないと思った。
だけど、その後の練習中、同じポジションのレギュラーの子に
「宮地、良かったじゃん」って言われた。
その日はいつも以上に声を出した。


野球部として、多少仲良くなれたと思う。
でも小学校のときから毎日のように遊んでいた友達は
少し距離のある「男友達」になってしまった。


野球部を続けていて、良かったなって思う。
でも、もっとたくさん話せば良かった、とも思う。

もう一度やり直しても、話せないのかも知れないけど。


今は「男友達」も「女友達」も
話す内容は違うけれど、
おんなじように「友達」だと思う。


あの思春期に離れ離れになった「友達」。
少しまた寂しい気持ちになった。

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