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私がプリスクールを開くまで①旦那、仕事辞めるってよ。

私は愛知県の海沿いの田舎まちで、カナダ出身の旦那さんとイングリッシュプリスクールを経営していました。
娘が産まれた時に、通わせたいところが無い!
それなら自分達で理想のプリスクールを作ろうと決意。
タイミング良く旦那ピーちゃんの古い友人が経営していたプリスクールをM&Aで買い取り、生後五ヶ月の娘を背中におぶって(と、言うけどたいしておぶってはない!笑)開業。
急に個人事業主となるわけです。

しかし、結婚をした時は市の職員として働いていたピーちゃん。
死んだ母には、安定や平凡が一番の美徳と耳にタコが出来る程聞かされていた私にはまさかの展開。
M&Aでかかった費用は、その死んだ母から貰った相続金で賄ったのだから
あら、、また人生って不思議。

ある日、ピーちゃんの古い友人から連絡が来る。
僕たちは宮崎に引っ越すから、プリスクールをやらないか?買わないか?と。
ピーちゃんは二つ返事で、いいね!やりたい!と答えたそう。
市の職員(ALT)の仕事や、職場環境にはもう嫌気がさしていたし、
給料がたいして上がる事が無い仕事=安定とも言えないような飼い殺し的な雇用に希望や夢が持てない状況だったから、
娘の事を考えたらGOしかなかったと思う。

ピーちゃんから、プリスクールを買い取って
僕たちでやろうと言われた時、
私も二つ返事でやろう!と答えたの。
始めるのを決めた日
閉める事を決めた日
どちらも一晩話して、すっと決めた。
うん、やろう。
うん、やめよう。
私たちはそうやって、すっと決めてきた。

自分を幸せにする事になぜか罪悪感や恥ずかしさがあった20代。
自分を大切にするってどうしたらいいかなんて分からなかった。
誰も教えてくれずに大人になっちゃったし、
ちゃんと考えた事もなかった。

そんな私が娘を産んで、堂々と幸せになりたい!娘の為にも自分が幸せじゃなきゃダメだよなって堂々と思うようになった。
出産をして
ようやく自分を大切に思う事が出来始めたんだと思う。
わたし、幸せになりたい。
その思い。

だから、ピーちゃんが
市の職員を辞めてプリスクールをやろうと思うって言われた時
すんなりいいね!って言えたんだよ。
自分を幸せにしようって思い始めていた私だから、相手の事も考える事が出来たんだよなって。

自分に優しく、自分の幸せを実現しようとしてないとさ
他人に優しく出来ないし
他人の幸せを願う事も難しいって
少しずつ体感し始めていた約11年前の私。

旦那、仕事辞めるってよ。
に対する私のアンサーは、いいね!
ワクワクするねーこの人生。そんな感じだった。

そんな風に思えた鍵は、何度も言うけど
自分の幸せを望む事が出来た私だったから。

他人の幸せを願う 利他の気持ち、の芽は
自分の幸せを願う 利己から始まる。



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