見出し画像

権力の暴走に抗う(シカゴ7裁判)

恐ろしい場面を見るのではないか
そんな不安から身構えていた。

恐ろしいとは
得体の知れないモノゴトとか、不運とか、そういうことじゃない。

目の前の人と殴り合うようなこと。

朝に玄関先で顔を合わせたらおはようと笑顔で挨拶をするような人とだ。

シカゴ7とは、1968年のシカゴで起きたデモの煽動をした疑いで起訴された7人のことを指している。

ただし実際は8人が法廷に並ぶ。
8人目は誰か。
デモとは関わっていない。
が、根本では同じ罪だ。
起訴された側のではない。

起訴した側の罪、法に反しない暴力。
権力の下に行われる“正当な”暴力の対象として加えられた8人目。

話が進むにつれ、当人たちの行動が明らかになっていく。

醜くて悪どい権力の姿も見えてくる。

主役はファンタスティック・ビーストのニュートでお馴染みのエディ・レッドメイン。
あの独特な雰囲気と存在感で優等生の革命家を演じる。

弁護を務めるのはレディ・プレイヤー1でアノラック(JDハリデー)役だったマーク・ライランス。
真実を求め、自陣のマイナス要素も見落とさない。
所々で身体一杯に感情をみなぎらせて本音をぶちまけるシーンに熱くなった。

判事も、政治家も、権力組織のトップにある人間のズル賢さには頭に来るが
それぞれの正義というものがあってそれに従っているだけなんだ。

だけどここで出てくる権力のトップには
正当性よりも虫をいたぶるかのような楽しさも感じられる。
そこがまたムカつくわけで。

私なんか一般の小市民で
彼らみたいに権力から目を付けられて吊し上げに合うようなことがあるとは考えられない。
・・・あるのだろうか?
(陰謀論は巷に溢れかえっている)

最終的に私はどの視点でこの作品に向き合えばいいのか。

正直、昔話なのであった。

そんな時代もあったねと。

私は団塊ジュニア世代なので、そんな時代の話を受け継いでいる。

ただ私に憎悪は湧かない。

どこまで行っても、そんな時代の話だから。

だけどもしも当事者だったら?
友人や家族が暴力を受けたら?

よく知らない人が目の前で不当に暴力を受けていたら、憎悪するだろうか。
そんな自分が、いざその場面に遭遇したら守るのだろうか。

1968年の彼らは行動して、守って、罰を受けて、それでも主張した。

もうあの頃とは違う。
権力の知性も、市民の権力も。
これからもどんどん変化していくだろう。

けどね。

戦争はどうだろう?
現在でも戦争は起きていて、命を取られている人がいて、
兵器の開発は進んでいて、
私の国でもどの兵器を買うか、財布を手に考えている人が権力を持っていて。

戦争を例えば、経済とか水資源とか食糧とかに置き換えて
拡大解釈的に捉えれば
今のこのパンデミックだって戦時下のようなものだし
9年前のジャパンのメルトスルー後だって戦時下のようなものだと言う人はいた。

そうじゃなくて、
玄関先で朝に顔を合わせたら、おはようと言っても良さそうな人同士が銃を向け合うような。

そんな戦争のこと。

一人ひとりを、それぞれの人生に戻してやりたい、と
何の力もないくせに思う。

家族を亡くした人たちにも、心を寄せたいと思う。
だけど現実には、私たちは分離していて
本当に目の前に遺族がいたとして
私に何ができるだろう。

深い溝があるんだ。

そしたら溝で囲ったその場所で
一人一人が自由に命を楽しめるような世界になるといい。

顔を合わせたら挨拶ができたらいい。

それだけのことなのに。

効率のために力が集まり、それを利用する人間が集まり、
一人一人の顔を忘れていくなんて。

世界は一人にひとつ。

私の知らないところでも守られていてほしいと願っているよ。



書くことで何かできるのか、それとも何にもならないのかわからないで続けてきたけど、きっとこれからも書き続けます。もしよかったらサポートよろしくお願いいたします。