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やったことないけど多分できる

私、昔から足がめちゃくちゃ遅いんです。

高校生のとき50メートル走のタイムが遅すぎて、友人から「え、50メートルの間になにしてたん?道草食いすぎやろ」と言われたことがあります。(関西人って面白いこと言いますよね)

足が遅いだけじゃなくて基本的に運動はあまり得意ではなく、部活にも入ってはいませんでした。人数が足りなくて試合に出られないからと、誰彼構わず部員の勧誘をしていたはずのソフトボール部の顧問の先生に、「お前だけはいらん。カマキリが立って走ってるみたいな走り方しよって」と言われたこともあります。(ひどい言われよう)
体力も筋力もない、ほとんどしたことないからわからないけど運動神経も今のところない。

それでも私、運動に関しては「多分やればできるんだよな〜」っていう根拠のない自信がずっとあるんですよ。すごくないですか。
運動において「まだやってないだけ」を永遠に続けて32歳になったってことです。

この「運動能力に関する根拠のない自信」を見るにつけ、自分の自己肯定感の高さに毎回驚かされるんです。
普段は自己肯定感があまり高いタイプではないと思うのですが、それを否定するかのように、折に触れて自分の中に運動に関する謎の自信が芽生えていることに気が付く。あ、私自己肯定感めちゃくちゃ高いんだった、となる。

なんですか、この構造。
ていうか、運動なんてほとんどしたことないのにできると思い込んでるの、本当にどうしてなんですか。

でも多分この謎の自信を支えていることの一つに、「きっとこの先も運動はやらないだろうと思っているから」っていうのがあると思うんですよね。
ずるい。てか、運動しろよ。

つまり私は「やったことないから多分できない」ではなく、「やったことないけど多分できる」と思っている。
本当にやるまでは「できる」と思い込めるから。
かなり意図的にそう思い込んでいるところがあるのです。

じゃあ他のことにおいてもそう思い込めたら、全てにおいて自己肯定感高く存在していられるんじゃないかと思うんですけど、それはできなさそうです。
私もそこまで自惚れてはいません。
今から偉大な研究者になれるとは思っていないし、芸術的な才能が大爆発して世界を代表するアーティストになれるとも思っていない。かといって、身近なところでいうと今から料理上手になれるとも思っていない(これこそやればできるのかもしれないけど、日常的にやってみた結果料理だけは性に合わないと気が付いてしまった)。

私にとってピッタリくるものは、やっぱり運動しかない。
絶妙に、やってはきたけどそんなにはやってこなかった、ピッタリ!

と、ここまでペラペラと一方的に話を続けて(note はいつだって一方的だけど)、それを読まされて「え、なんの話?」と思った皆さん、大正解です。

え、なんの話?

こういう根拠のない自信って、結構大事だなと私は思っていて。
だって、日常で「これはできる」と確信を得られることってあまりないじゃないですか。
ちゃんとやったらできないことばかりだし、できることの方が少ないし、放っておいたら自己肯定感なんてどんどん下がっていく。
そのうち気分がふさいで、生きるのがつらくなってしまう。
そう、生きるのがつらくなるのって、本当に簡単なんです。生きるのって超難しいから。

できないことばかりだとチャレンジするのが怖くなって、できることも増えていかない。自己肯定感が下がる、悪循環。
だから、たまには「やったことないけど多分やればできる」を密かに持っておくのも悪くはないんじゃないかと思っているのです。

それが、私にとっては運動なんですよね。

皆さんもぜひ真似してみてください。
そんなに自分の日常に関係のないことだったら、なんでも良いから。

でも気をつけなくてはいけないのは、そのことについて誰かと話すときです。
私も「私って多分運動できるんだよな〜」と思いながらも、人と話すときは「私運動は本当にダメなんです」って言います。
まだ本気出してないだけ、みたいなことを言い始めるやつって、大抵の場合ちょっとやばいと思われるから。
ただただ密かに、心の中にひっそりと持っておくことをお勧めします。

私は今言っちゃったけど。

だからこれを読んでくれている皆さんにとって、私は今日からやばいやつです。
身を削って、皆さんに自己肯定感を無理やり上げる方法を伝授しました。

どうか受け取ってくださいませ。

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