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「硝子の鳥籠」 第3話 動揺

 時刻は十八時半過ぎ。職員室にて一連の事務作業を終えた千影は、島唯一の料理屋に向かっていた。
 ほんの半年前にオープンしたばかりの洋食店だ。学園の正門から徒歩十分とかからない好立地で、かつ味も親しみやすいため、寮の食事に飽きた教員たちの憩いの場となっている。

 千影がそこを訪れるのは二回目だ。一回目は、同僚である体育教師・青山に誘われて訪れた。年が近い先輩として、彼は何かと千影を気遣ってくれる。頻繁に悩み相談をしてほしいような雰囲気を醸し出されるのだが、話せるような困りごとがないことに困っているところだ。
 けれど今日は気心が知れた幼馴染との会食であるため、自分にしては珍しく気分が上がっているなと思う。

 煉瓦調の壁に深緑色の屋根が似合う「洋食屋KARIYAN」。
 店主の愛称を英語表記しただけの店名が、吊り看板にいい感じに刻まれている。上部に菱形の硝子がはめ込まれた玄関扉を開くと、カランカランと音がして店内の景色が広がった。
 暖色の灯りに照らされ、カウンターを挟んで談笑していた男性二人がそろってこちらに顔を向ける。

 目が合うなり「よっす!」と少年のように笑ったのは、白と灰色のストライプ柄のハンチング帽を被った青年。店主であり生徒会の先輩でもある、刈谷かりや雄介だ。白いコックシャツに、帽子と同じ柄の腰下エプロンを合わせている。

「お疲れさ~ん、いらっしゃいませ~」
「お疲れ様」

 待ち合わせ相手の弓月ゆみづき柊人しゅうとも、仕事終わりとは思えない爽やかな笑顔を向けてくれた。さすが王子先生だ。

「お疲れ。先輩も、お久しぶりです」
「おう、ホントにな。お前らさあ、もうちょい顔出せよ。寂しいじゃん」

(相変わらずね)

 ひと学年上の生徒会長であった刈谷は、愛嬌のある顔と人なつっこい性格から、柴犬のようだと生徒たちにとても好かれていた。
 教師たちも同じだ。料理を楽しむのはもちろん、彼に会いたいと足を運んでいる部分も大きいだろう。

 今日自分たち以外に客がいないのは、常連である教師たちが点検係だからだと推測できる。
 学園には、悪魔の侵入を防ぐための結界が張られている。それに異常がないか確認するのが、教員たちの月末の定例作業なのだ。当番制であるため千影ももちろんやったことがあるが、なかなか根気のいる作業である。

「いつも賑やかでしょう? 繁盛してるって聞いてますよ」
「まあな。土日は洗礼帰りの客が入るし、すぐに経営破綻ってことにはならなそうだ」

(本当に、先輩ってすごい)

 口には出さず、「何よりです」と当たり障りのない言葉を返しながら、千影は柊人の隣の席に腰掛けた。
 すぐに、水の入ったグラスとおしぼりが目の前に置かれる。カウンター越しに見上げた刈谷の顔が学生時代よりもぐんと大人びて見えて、息が詰まった。

(先輩が私だったら……。こんな宿命を抱いていても、カラリとした人生が送れるのかしら)

 由緒正しい祓魔師エクソシスト家系に生まれた刈谷は、良くも悪くも破天荒な性格で、卒業後料理人になりたいと海外に渡っていた。そこで悪魔被害に遭ったらしく、祓魔師の重要性を実感。家業を継ぐか料理人の道に進むか熟考した結果、島に店を構えればいいという結論に至ったのだとか。
 自分の欲望に忠実で、迷いなく、決めた道を進んでいくことができる。そんな彼を尊敬しているけれど、あまりに眩しくて苦手だ。

 
「柊人。そんなんじゃ立派な探偵になれないぞ」
「なるつもりありませんけど……?」
「かーっ! お前って奴は、ほんっとーに冗談通じねえなあ!」
「え? あー、ごめんなさい」
「嘘だよ。そんなお前が好きさ」

(……何の会話かしら)

 いつの間にか話が盛り上がっている。突っ込むのも面倒で、千影は羊皮紙風の紙に印字されたメニューにじっと視線を注いだ。

『海の幸満載 窯焼きナポリピッツァ』
”本場の味! 食べなきゃ損!!”

 ずいぶんと自信満々な謳い文句だ。
 ふいに、百香の顔を思い出す。フリルのヘアドレスとエプロンを着けたウエイトレス風の骸骨が、ピザの載ったトレイを片手にポーズを取る……お洒落なのか何なのかわからないビッグTシャツを着ていたせいだ。
 昔は清楚なワンピースを着せられていたが、もう、シルエットのだぼついたTシャツでしか体型をごまかせなくなってしまったのだろう。

 学園の制服も、肩幅を狭く見せる加工が施された特注品だということを千影は知っている。
 百香は現在二年生。あと一年、無事に女子高生を続けられるだろうか。

 カランカラン

「いらっしゃ~い」

 はつらつとした声が、千影を現実に引き戻した。
 扉を開けて入ってきたのは、島唯一の生活用品店を営む中年の夫婦――元祓魔師――だった。目が合ったため、互いに会釈をする。

 この島には協会関係者しかおらず、学園の調理員や用務員、島民を本土に運んだり生鮮食品を調達したりする船乗り、それを売る店舗営業者も、現役を退いた者がほとんどである。
 存在する建物は、十字学園、洗礼を行う礼拝堂、船乗りや短期で訪れた協会関係者などが使用する宿泊施設。そして店舗付き住宅をはじめとする民家は、両手の指でおさまるほどしかない。

「千影ちゃん、注文決まった?」

 柊人が尋ねてきた。
 幼い頃から呼ばれているが、名前をちゃん付けするのが、彼のやわらかな声だとしっくりくるなと今さらながら思う。

「うん。ナポリピザがいいかなって」
「ああ、先輩のイチオシね。意外。あえて選ばないと思ってた」
「ひねくれ者ってこと?」
「ご想像にお任せするよ。それにしても、刈谷先輩、本当に変わらないね」

 夫婦の応対に向かった刈谷は、席に案内したあとも楽しげに会話を続けている。彼を見る柊人の視線にわずかな憧憬が込められていることを、千影は知っていた。

 柊人は二代目。祓魔師とは無縁な家庭に生まれ育った彼の両親は、青年期に悪魔被害に遭い、それぞれ祓魔師になることを決意。洗礼を共に受けたことがきっかけで惹かれ合うようになったらしい。
 しかし、柊人が小学生の時に母親が殉死、父親も再起不能の重傷を負ってしまった。悪魔に対する憎しみを募らせた父親は、強い祓魔師になって妻の敵を討つよう柊人に期待をかけたのだという。

 そういった理由で、彼は親交があったという原――柊人の先任だった数学教師――に息子を託した。原家は先代から島に住んでいたため、柊人も島民となったのだった。互いに、十三歳だったときのことだ。
 島に小中学校はなく原家と早瀬川家に親交があったこともあり、柊人は、ごく自然な流れで千影とともに家庭教師に学んで育った。

 いつだったか。「自分が本当は何をしたいのかわからない」と弱音を吐いてくれたことがあった。
 強く共感を覚えたのだ。「私もだよ。だから大丈夫、一人じゃない」と返したあの時、柊人の瞳に光が宿ったのがはっきりとわかった。

 仲間ができたようで、ひどく嬉しかった。

 自分たちには、華やぐ春や太陽が照りつける夏よりも、湿っぽい梅雨がよく似合う。周囲からちやほやされても仄暗さが拭えない、似たもの同士。

 柊人となら、これからも良い友人でいられるに違いない。
  

「千影ちゃんは変わったよね」
「え」
「見た目の話。みんなが見たら驚くだろうな」

 みんなというのは、同窓生たちのことだろう。卒業後島を出た彼らは、今はそれぞれの場所で、任務を果たしつつ社会人をしているはずだ。
 柊人も同じで、東京の大学に通い、つい最近までビジネス街をスーツ姿で闊歩していたのだ。卒業後も島に残ったのは、千影だけだった。
 教え子たちもみな、百香を残して海を渡っていくのだろう。

「島から出られないんだもの。ぐれたくもなるでしょう?」
 
 すぐにわかる、拗ねたふりをした。

 髪を染めたのは、教員免許取得のための対面試験を受けに日帰りで島を出たときだ。早く百香の元へ帰らなければならないというのに、付き添いをしてくれていた双子の兄の片割れ――刈谷と似た自由奔放な性格をしている――に、「記念にイメチェンでもしていけよ」と行きつけの美容室に半ば強引に連れ込まれたのがきっかけだった。
 思いきって金髪にしたのは、鏡に映る冴えない表情の自分を大きく変えてみたいと思ったからだ。

(結局、中身は何も変わらなかったわね)

 髪色を黒に戻さないのは、百香と同じ、つまらない反骨精神からだ。
 宿命に囚われた哀れな女から、脱却したくて仕方がない。

(……ん?)
  
 冗談っぽくたしなめてくれることを期待したのに、柊人はなぜか無言だ。
 腕が伸びたかと思うと髪を一房手に取られ、千影はドキリとした。

「綺麗だね。黒でも金でも、僕は千影ちゃんの髪が好きだよ」

「!? お前ら、やっぱり……!」

 おかしなタイミングで刈谷が帰ってきた。手にした深皿には、柊人が注文したと思われるミモザサラダが綺麗に盛り付けられている。

「先輩、空気読んでくださいよ。今から口説こうと思ってたのに」
「え! マジか……てっきり付き合ってるんだと……すまん」
「柊人君」

 意外と悪戯好きな幼馴染みに咎めるような目を向けたあとで、千影は小さく息を吐き出した。

「先輩、私は恋愛に興味ないんです。一生独身を貫くつもりだし、柊人君もそれを知ってます」
「は!? え? なんで?」
「理由なんてありませんよ。前世が敬虔な聖女か何かだったのかもしれませんね」
「……なんだそりゃ。おい柊人。お前、それでいいのかよ?」

 何やら真剣な目を向けられた柊人は、あっけらかんと答えた。

「はい、もちろん」
「嘘つくなって。お前まで、恋愛に興味ないから独り身なんです、とか気色わりぃこと言うのかよ」

 刈谷はどうも、後輩二人の間に恋愛感情があると思い込んでいたらしい。学生時代、柊人のファンから剣呑な眼差しを向けられていた事を思い出しうんざりする。
 千影に同性の親しい友人がいない理由は、まさにこれだった。
 恋愛の話をするのが苦痛なのだ。聞く分にはまだいいが、話題の提供を求められると困ってしまう。

「おい、本当は好きなんだろ。この際はっきりさせておいた方がいいって」

(ああもう、しつこい!)

 視線を感じて軽く振り返ってみれば、夫婦は微笑ましげな目でこちらを見ていた。若いねえ、なんて会話が聞こえてくるようだ。
 それがまたこそばゆくて、居心地が悪い。

 刈谷をどうやって黙らせようか考えをめぐさせはじめたところで、柊人が思わぬ事を口にした。

「好きですよ。だから、これ以上は求めないんです。僕は、千影ちゃんの全てが愛しいから」


*  *


 柊人の発言のあと、刈谷はおかしなことになってしまった。「俺の心がよこしまなのか」と悩み込んだかと思えば、「お前は真の男だ」と涙ぐんで酒を勧めてきたりと忙しない。
 店を出るときにはようやく落ち着いて、笑顔で見送ってくれた。あれで口が硬い男であるため、おかしな噂は立たないだろう。

「家まで送るよ」
「ありがとう」

 これまでに何度もしたやりとりのあとで、千影は柊人と並んで歩きはじめた。
 じっとりと汗ばむような、梅雨の夜だ。
 アスファルトにぼんやりと浮かんだ街灯の明かりを見て、無意識に視線が落ちていたことに気づく。

 ごくりと唾を飲み込んだあとで、千影は思いきって顔を上げ柊人を見つめた。

「さっきの……私のことが好きだって話、本当?」

「もちろん」

「……っ。愛しいとか言ってたけど、まさか、恋愛対象として……」

「そうだよ」

 あっさり肯定され、千影は息を止めた。
 ひとりでに足も止まる。
 視線の先で、柊人はいつもと同じ穏やかな表情をしていた。それが、今は不可解で仕方がない。

「どうして? 『私のこと』、知っているでしょう? 本当に、恋愛なんてできないんだよ」

 教員である以前に、柊人は百香の火傷を肩代わりした現場を見ていた。さぞ不気味で異様な光景だっただろう。
 それなのに――。

「わかってる。それでもいいんだ」
「そんなはず……!」
「刈谷先輩に言ったのは本心だよ。千影ちゃんの望みを叶えることが、僕の望みでもあるんだ」

 生ぬるい夜風が、二人の間をすり抜けていった。
 どうして、そんなにまっすぐな目をして立っていられるのだろう。
 千影は、たまらず目を逸らした。
 
「……ごめん。なんて答えればいいのかわからない」
「いいよ。本当に気にしないで」

 そんなの無理に決まってる。
 消化できない恋心を抱いていることがどれほど辛いか、知っているのだから――。
 

 


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