第4話 嬉しい報告
入学から二ヶ月が経って、季節は梅雨。
しとしとと降る雨の音を聞きながら、私は客足の途切れたサロンで大きく伸びをした。
(売り上げとレジの照らし合わせ、おしまいっと)
恋のトラブルが起きていないおかげで、私のサロンでの仕事は、売り上げの管理と店内の掃除、買い出し……つまり、完全な雑用係になっている。
(三階でトレーニングしてた方がいいんじゃないかな……)
レジカウンターに突っ立ったまま、これまでの出動について思い返してみた。初出動のときは運良くキーアイテムを浄化できたけど、そのあとの三回は羽岡先輩に庇われてばかりで、足を引っ張ってしまった。
「げっ! もしかして売り上げ合わない?」
休憩に入ってた星影先輩が、いつのまにか一階に降りてきていた。
「……? いえ、合ってます」
「よかった~。険しい顔してるからさあ、勘違いしちゃったよ」
「! 紛らわしくてすみません……」
「謝らなくていいって。……んー、ちょっと待っててね」
「?」
星影先輩はバックヤードに下がると、少しして陶器の可愛い桶を手に戻ってきた。それをいつも来客相手に使っているテーブルに置いて、私に微笑みかけてくる。
「泉ちゃん。こっちおいで」
「? はい……」
「ここ、座ってね」
言われるままに椅子に座ると、テーブルを挟んで向かい側に星影先輩が座った。
テーブルに置かれた桶にはお湯が張ってあって、柑橘っぽいけど甘い香りがふわっと漂ってくる。
(いい香り……)
「ハンドバスだよ。あったかくて気持ちいいから、手、入れてみて」
「でも……私お客さんじゃ……」
「いつも頑張ってるご褒美。ね、受け取って」
「……わかりました」
シャツの袖を軽くまくって、両手をゆっくりお湯につけてみた。
手だけなのに、全身があったかい蒸気と甘くて爽やかな香りに包まれるみたい。なんだかほっとする。
(……すごく気持ちいい……)
「気に入ったみたいでよかった」
顔を上げると、星影先輩が優しく瞳を細めていた。
「……星影先輩は、本当に……人を癒やすのが天職なんですね」
話しかけるつもりなんてなかったから、口にしたあとで自分で驚いた。星影先輩も目を丸くしていたけど、すぐに微笑んでくれた。
「ありがとう。そうだったら嬉しい」
「……羽岡先輩も、いきいき仕事してるし……私……雑用しているよりも、二階でトレーニングしていた方がいいと思うんです。ここにいるよりも、ずっと役に立てるんじゃないかなって……」
穏やかな雰囲気とやさしい香りのせいか、もやもやしてたものが言葉になって口から出ていった。
「たしかに、ヒーロー部の活動においてトレーニングは重要だよね。だけど、『出動しないために』できることもあるんだ。なんだかわかる?」
「……? ……わかりません」
「答えは、支えることだよ。好きな香りを身につけて、爪を可愛くしたらテンション上がるでしょ? 悩みよ吹き飛べ~! って願いながら、ボクはみんなの話を聞いて施術してるんだ。天馬もきっと同じだよ。ユメクイに暴走させられる前に癒やしてあげられたら一番いい」
「……たしかに、その通りですけど……」
(私には先輩たちみたいに人を癒やしたり元気にしたりする特技がない。愛嬌もないし……)
「泉ちゃんにしかできないことがきっとあるよ。のんびり探してみて」
星影先輩には、私の考えてることなんてお見通しなんだろう。
明るく笑いかけてくれたあとで、思い出したみたいに付け加えた。
「あと、星影先輩じゃなくてめぐる先輩って呼んでよ。寂しいじゃん」
「え……はい。わかりました」
「あとあと、もっとトレーニングしたいっていう意気込みはすっごくいいから。うまいこと調整してみるね」
「ありがとうございます」
そう答えたときだ。
カランコロン
「やほー」
雨の匂いと一緒に、美香先輩と丸山先輩が入ってきた。
「よかった。雨だから空いてるじゃないかなって思ったけど、大正解だったわ」
そう言った美香先輩の隣で、丸山先輩は大きなビニール傘を傘立てに入れてる。相合い傘してきたみたいだ。
(美香先輩はこのあとヘアカットの予約が入ってたけど、まだ早いよね。それに、丸山先輩も一緒だし……)
私の心を読んだみたいに、丸山先輩がこっちを見た。ふっくらしたほっぺをほころばせてて、元気なのがすぐにわかる。
「報告があって。俺も一緒に」
「そういうわけ。差し入れ買ってきたから、みんなで食べよう」
紙袋を顔の横に持ってきて、美香先輩がにっこり笑った。
「やったあ!」
星影……じゃなくて、めぐる先輩がおおはしゃぎしてる。
女の子より可愛いなあって思っていると、ちょうど羽岡先輩が階段を降りてきた。
「天馬、差し入れだって!」
「マジ? あざっす!」
先輩たちは、盛り上がりながらソファの並んだ待合スペースに歩いていく。自然と、羽岡先輩の背中に目がいった。
(差し入れがあるなら、疲れもとれるよね。よかった)
ここサロン・エスポワールはかなりの人気店で、毎日びっしり予約が入ってる。めぐる先輩のお客さんは女子がほとんど、羽岡先輩は男女が半分ずつってイメージだ。
(羽岡先輩って、男子からもすごく人気があるんだよね)
一年生からは頼れる兄貴、二年生からは仲のいい友達、三年生からは素直でかわいい後輩って思われてる気がする。
疲れた顔で来た人も最後には笑顔になって帰っていくから、本当にすごい。
(……って、お茶の準備をしなくちゃ。たしか二階にアイスティーがあったよね)
グラスの乗ったトレイを持って階段を降りてくると、先輩たちはテーブルの上にお菓子を並べて私を待ってくれていた。
当たり前みたいに仲間に入れてもらえることが、なんだかこそばゆい。
「泉ちゃん気が利く~! ありがとうね」
美香先輩が人なつっこく笑いかけてくれた。他の先輩たちも口々にお礼を言ってくれる。
「いえ。こちらこそありがとうございます」
そう返してから、羽岡先輩の隣にそっと座った。めぐる先輩の隣の方が個人的にほっとできたんだけど、ここしか空いてなかったから仕方ない。
目の前のテーブルに置かれているのは、ちょっと変わった見た目の小さなお菓子だ。モンブランみたいに巻かれた白いペーストが、マドレーヌっぽい焼き菓子の上にちょこんとのっててかわいい。
セゾン・ロマネスクの最新スイーツなんだって、丸山先輩が教えてくれた。
「先週、パティシエ志望が集結した……そりゃあもう豪華な投票イベントがあってね。上位三つがメニューに加わったんだよ」
丸山先輩は大のスイーツ好きらしい。
ポケットに入れっぱなしになってた(だらしないって美香先輩に怒られてた)、当日もらったっていうメニュー案内のビラをニコニコしながらテーブルに広げた。
「今日買ってきたのはこれ」
まるっとした指がさしたところをみて、私は息をのんだ。
『 おばあちゃんの小さなおやつ
大好きな祖母がつくってくれた甘酒。そのやさしい味をかわいいお菓子にしました。
食べてくれた人が、ほっこりあたたかい気持ちになってくれますように。
栗本 風花』
(この名前、『ふうちゃん』だ!)
初出動のときユメクイに暴走させられたパティシエ志望の女子生徒の顔が、自然と蘇る。
胸がジーンと熱くなって、目の前のお菓子がきらきら輝いて見えた。
(味わって食べよう)
正面に座っためぐる先輩の嬉しそうな顔が、ちょうど目に入る。
(羽岡先輩は……)
何の気なしに隣を盗み見した私は、すぐに後悔した。
だって……本当に優しい目をしていたから。
持ってたビラをそっとテーブルに置いて、お菓子を口に運ぶところまで。一秒も目が離せなくなる。
「――おいしい」
大切そうに呟かれた声を聞いて、鼓膜がびりびりって震えた気がした。これ以上見ちゃダメな気がして、私はお菓子にじいっと視線を送る。
そっと手に取って口に近づけると、ふわっと甘い香りがした。
(……! 美味しい……っ。……ああ、食べ終わっちゃうのがもったいない……)
「あははっ。泉ちゃん、ハムスターみたいで可愛い」
めぐる先輩が笑う。
「え?」
「ちょびちょび食べてるんだもん。だけど、うん、わかるよ。――すごく、美味しいよね」
大人っぽく笑いかけられて、嬉しい気持ちがもっと強くなった。
(……あのとき頑張って、本当によかった)
「よかったな」
小さな声が降ってきた。
隣を見ると、羽岡先輩が瞳を細めて私を見てる。
「……っ、はい」
胸がいっぱいになって、声が小さく震えた。
隠すように視線を落とした私を、羽岡先輩がまだ見つめているのがわかる。ふっと優しく笑った気配がして、顔が勝手に熱くなった。
「それで? 丸山先輩の報告って?」
めぐる先輩が身を乗り出す。
「実は、映画会社主催の小説コンクールで新人賞を取ったんだ」
(!?)
びっくりして顔を向けると、丸山先輩はふっくらした頬を赤らめてはにかんでいた。
「……憧れの人から認めてもらえなくてすごく落ちこんだけど、夢を見つめ直すいいきっかけになったよ。……思い返してみたら、自分の世界を映像にしたいっていう気持ちが、俺の夢のはじまりだったってわかったんだ」
それで、思いきって色々な分野に挑戦していくことに決めた。
そう、丸山先輩は話してくれた。
「あの日、星影くんに作ってもらった香りのおかげで前向きに頑張れたよ。ありがとう」
「どういたしまして。だけど先輩? 『星影くん』はやめてくださいよ。せっかくこんなにかわいくしてるのにぃ」
「あはは、ごめん。めぐるちゃん」
丸山先輩がすっきりした笑顔を見せてくれて、美香先輩も幸せそうに笑ってる。
「私ね。丸ちゃんの脚本で女優デビューするのが夢だったんだけど、小説が実写化するのを待つことにする。先は長いけど、そのときオーディションを勝ち抜けるように頑張らなくちゃ!」
二人にとっての新しい夢が始まったんだ。美香先輩、すごくキラキラしてる。
「というわけで。天馬くん、バッサリ切っちゃって。イメチェンしたいんだ」
「オーケー。まかせて」
美香先輩と羽岡先輩は席を立って、美容室スペースに。丸山先輩は挨拶をして、サロンを出ていく。
大きな背中を見送りながら、めぐる先輩がぽつりと言った。
「ボクたちの活動って、体を張ってるのに誰にも感謝されない。だけど、こういう日は最高のご褒美をもらえたような気持ちになるんだ」
長い睫毛に縁取られた瞳が、きらきら光ってる。
本当に素敵な人だなって、自然と思った。
(それに……。まだまだ新米だけど、めぐる先輩の気持ち、少しわかった気がする)
『夢は叶わなければ意味がない』ってお父さんは言った。
だけど、丸山先輩の脚本家になるっていう夢があったおかげで、二人はこの学園で出会って。美香先輩が支えてくれたから、丸山先輩は小説家っていう新しい夢を見つけられた。
お父さん、これって無意味じゃないよね……?
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