世界のホンダのグローバル展開

概要

ホンダは1960年代から本格的にグローバル展開を開始し、現在では以下のように世界中に生産・研究開発拠点を持つグローバル企業に成長しています。

  • 生産拠点: 28カ国に124以上の工場を展開

  • 研究開発拠点: 各地域に研究開発センターを設置し、地域のニーズに合わせた製品開発を行っている。

  • 6つの地域統括本部: 北米、南米、欧州・中東・アフリカ、アジア・オセアニア、中国、日本の6つの地域統括本部が設置され、各地域の意思決定を迅速に行える体制

  • フレキシブルな生産体制: 主要工場では複数車種の同時生産や生産シフトが可能な"新製造システム"を導入

2024年3月期 決算ハイライト

  • 売上高: 2兆428億円 (前年比+20.8%)[2]

  • 営業利益: 1兆3,819億円 (前年比+77.0%)[2]

  • 親会社所有者帰属当期純利益: 1兆1,071億円 (前年比+70.0%)[2]

国内と国外の売上比率 (2024年3月期)

  • 国内売上高: 2兆428億円の内、金額は不明だが比率は低い

  • 海外売上高: 国内比率が低いため、大半が海外売上と推測される

主要海外地域別売上ランキング (2024年3月期、推定)

  1. 北米

  2. 中国

  3. アジア・オセアニア

  4. 欧州・中東・アフリカ

  5. 南米

※ホンダは地域別の具体的な売上数値を公表していないため、上記は生産・販売拠点の規模から推定したランキングです。

ホンダはグローバル企業として世界中に生産・販売網を持ち、特に北米、中国、アジア市場での売上が大きいと考えられます。今後もグローバル戦略を加速させ、各地域のニーズに合った製品開発・供給体制を強化していく方針です。

ホンダの海外ビジネス戦略

1. 新興市場への戦略的アプローチ

ホンダは新興市場において、地域ごとの市場調査を徹底し、各地域の消費者ニーズや嗜好を理解することに重点を置いています。これにより、地域特有の製品開発やマーケティング戦略を策定し、各市場に最適化されたアプローチを実施しています。また、現地での生産拠点の設立や地元企業との提携を通じて、現地の雇用創出や経済発展に貢献し、製品の供給効率を高め、コスト競争力を強化しています。

2. 電動化への大規模投資

ホンダは、2030年度までの10年間で約10兆円を電気自動車(EV)の開発と生産に投資する計画を発表しました。これは従来の計画の2倍の規模であり、バッテリーの生産体制整備などに重点を置いています。特に北米市場でのハイブリッド車(HV)の好調な販売と二輪事業の収益力強化を通じて、資金を創出し、電動化戦略を加速させています。

3. 自動運転技術の推進

ホンダは自動運転技術の開発にも積極的に取り組んでおり、世界初の自動運転レベル3搭載量販車の販売を開始しました。また、米国のGMやCruiseとの協業により、自動運転タクシーの展開も計画しています。これにより、モビリティの変革を目指し、技術革新を推進しています。

4. 持続可能性と環境への配慮

ホンダは持続可能性を企業戦略の中核に据え、環境負荷の低減や社会貢献活動に力を入れています。再生可能エネルギーの利用拡大や製品のエネルギー効率の向上を通じて、CO2排出量の削減を目指しています。また、地域社会との連携を重視し、教育支援や環境保全活動などを通じて、地域社会の持続可能な発展に貢献しています。

5. 半導体の安定調達

ホンダは半導体の安定調達を目指し、TSMCとの戦略的協業をはじめとする半導体メーカーとの協力関係を強化しています。これにより、リスクセンシングを強化し、半導体の供給リスクを低減させることを目指しています。

これらの戦略を通じて、ホンダはグローバル市場での競争力を高め、持続可能な未来への貢献と市場でのリーダーシップを目指しています。

ホンダの国内市場に対する考え方は、以下のような戦略と取り組みに基づいています。

ホンダの国内のビジネスについて

1. 電動化の推進

ホンダは国内市場においても電動化を積極的に推進しています。2024年前半には「N-VAN」ベースの軽商用EVを発売し、2025年には「N-ONE」ベースのEV、2026年にはSUVタイプを含む小型EV2機種を発売する計画です。これにより、国内市場でも電動車の普及を図り、環境負荷の低減を目指しています。

2. 自動運転技術の導入

ホンダは自動運転技術の導入にも力を入れており、2026年には日本国内で自動運転タクシーサービスを開始する予定です。これは米GM傘下のクルーズと提携した自動運転車両「クルーズ・オリジン」を用いたサービスで、時間という制約から解放する新しいモビリティの提供を目指しています。

3. ブランドイメージの強化

ホンダは国内市場において、ブランドイメージの強化にも注力しています。特に安全性を重視したマーケティング戦略を展開し、子どもがいる母親をターゲットにした広告展開を行っています。これにより、企業のブランドイメージを定着させるとともに、安全装置の普及を促進しています。

4. パワープロダクトの展開

ホンダは発電機、耕うん機、草刈機などのパワープロダクト製品を国内市場でも展開しており、これらの製品は第一次産業を営む人々の労働負担を軽減するために役立っています。近年はCO2削減の実現に向けて、ロボット芝刈機やHonda歩行アシストなどの電動化製品の取り組みにも積極的です。

5. 生産体制の見直し

ホンダは国内生産体制の見直しも行っています。例えば、オデッセイ、レジェンド、クラリティなどの名門車の生産終了を決定し、リソースをより競争力のあるモデルや新技術の開発に集中させています。

これらの戦略を通じて、ホンダは国内市場においても持続可能な成長と競争力の強化を目指しています。

ホンダが本格的にグローバル展開に舵を切った背景

ホンダは1960年代からで、その背景には以下のような要因がありました。

1.国内市場の成熟化

1950年代後半から日本の経済が高度成長期に入り、国内の二輪車・自動車市場が成熟してきたことがグローバル展開の契機となりました。国内需要だけでは成長が限界に達ったため、海外市場開拓が必要不可欠となったのです。

2.輸出拡大の必要性

国内市場の成熟化に伴い、ホンダは生産能力の余剰が生じるようになりました。この生産能力を活用するために、海外への輸出拡大が重要な課題となりました。

3.二輪車の海外需要の高まり

1960年代、東南アジアを中心に二輪車の需要が高まっていました。ホンダはこの需要を的確に捉え、1963年にはベルギーに初の海外生産拠点を設立しました。

4.自動車の海外需要の高まり

1970年代に入ると、石油危機の影響で小型車への需要が高まり、ホンダの燃費性能の良い車種が欧米で高い評価を受けるようになりました。これがホンダの四輪海外展開を後押ししました。

5.為替リスク回避

1980年代に入ると、円高が進行し、輸出競争力が低下しました。このため、ホンダは現地生産による為替リスク回避を目的に、海外生産拠点の設立を加速させました。

国内市場の成熟と生産能力の余剰、海外需要の高まり、為替リスクの回避などの要因が重なり、ホンダは1960年代から本格的なグローバル展開に乗り出したのです。現地生産による現地雇用の創出や技術移転なども行い、グローバル企業への道を歩み始めました。

どちらかというと2輪の方が世界的には名が知れている

ホンダは二輪車と四輪車の両方で海外で高い知名度を持っていますが、全体として見れば二輪車のほうが有名度が高いと考えられます。

その理由は以下の通りです。

1.二輪車事業の歴史が長い

ホンダは1949年の創業当初から二輪車事業を手掛けており、1960年代から本格的に海外展開を開始しました。一方、四輪車事業は1963年に米国で始まり、二輪車に比べて海外進出が遅れました。

2.新興国を中心に二輪車の需要が高い

アジアやアフリカ、中南米など新興国を中心に、低価格で燃費性能に優れたホンダの二輪車が広く普及しています。貧困層の足としても重宝されており、これらの地域でホンダの知名度は非常に高くなっています。

3.レーシングでの活躍

ホンダは二輪レーシングで長年に渡り活躍しており、特にモータースポーツの盛んな欧州でその名を広く知られるようになりました。レーシングを通じたブランド力の向上が、二輪車の知名度アップにつながっています。

4.四輪車の販売が一部地域に偏る

一方で四輪車の販売は、北米や中国など一部の地域に偏る傾向があります。新興国での四輪車の普及は二輪車ほど進んでいないため、全世界での知名度は二輪車ほど高くないと思われます。

このように、創業からの長い歴史と新興国市場での圧倒的な存在感から、ホンダは世界的に見れば二輪車のほうが四輪車よりも高い知名度を持っていると言えるでしょう。ただし、先進国などでは四輪車も高い評価を受けており、両事業で世界的に高い認知度を獲得しています。

2輪が普及している地域

新興国市場

  • アジア・アフリカ・中南米

    • 排気量が小さい100cc以下の小型バイクが主流[11]

    • 低価格で燃費性能に優れた製品が人気

    • 移動手段としての需要が高い

  • 主な車種

    • スーパーカブ(110cc)

    • ベンリィ(90cc)

    • ドリーム(110cc)

これらの新興国では、二輪車が重要な交通インフラの役割を果たしています。ホンダは手頃な価格帯の製品を提供することで、移動の自由と利便性を支えています。

先進国市場

  • 北米・欧州・日本

    • 中型から大型のスポーツバイク、ツアラーなどが人気[11]

    • レジャー目的での需要が中心

  • 主な車種

    • CBR1000RR-R(スーパースポーツ)

    • ゴールドウイング(ツアラー)

    • レブル(ネイキッドスポーツ)

先進国では、二輪車の楽しみ方が多様化しており、高性能で個性的なモデルが求められています。ホンダはスポーツ性や快適性に優れた車種を投入しています。

また、ホンダは電動二輪車の展開も進めており、2026年までに10モデル以上を世界に投入し、2030年には年間350万台の販売を目指しているそうです。電動化の波に対応しつつ、地域の実情に合わせた製品ラインナップを拡充する方針です。

一次産業への取り組み

ホンダは第一次産業向けに、以下のような製品やサービスを提供しています。

農業機械

  • 耕うん機

  • 田植え機

  • コンバイン

  • 草刈り機

  • ポンプ

  • 発電機

ホンダは1953年から農業機械の製造を開始し、農作業の効率化と省力化に貢献してきました。特に小型で軽量な製品が農家から高い評価を得ています。

ロボット技術の活用

  • 自動走行草刈りロボット「Honda 自動草刈機」

  • 自動走行田植えロボット「Honda 自動田植機」

ホンダは自動運転技術を応用し、農作業の自動化・無人化に取り組んでいます。人手不足の解消や高齢化対策として、ロボット技術の活用が期待されています。

林業機械

  • チェーンソー

  • 刈払機

  • 運搬車両

林業現場での伐採や造林作業を支援する製品を提供しています。

漁業機械

  • 船外機

  • 発電機

船舶用エンジンや発電機を通じて、漁業の現場をサポートしています。

このように、ホンダは農業、林業、漁業など第一次産業全般に向けて、作業の効率化や省力化を実現する製品・サービスを幅広く展開しています。特に農業分野では長い歴史を持ち、ロボット技術の活用にも注力しています。今後も第一次産業の課題解決に向けた取り組みを強化していく方針です。

一次産業向け製品は国内が中心

ホンダの第一次産業向け製品は、主に国内市場が中心ですが、一部の製品は海外にも展開しています。

国内が中心である理由は以下の通りです。

  • 農業機械の製造は1953年から開始しており、長い歴史があり国内での需要が根強い

  • 小型で軽量な農業機械が日本の農家から高い評価を得ている

  • 自動走行の農業ロボットなど、最新技術の実証実験を国内で行っている

一方で、海外展開も徐々に進めています。

  • 発電機や船外機など、一部の第一次産業向け製品は海外でも販売している

  • 新興国を中心に、低価格で耐久性に優れた農業機械の需要が高まっている

  • タイやインドなどで農業機械の現地生産を開始

つまり、ホンダの第一次産業向け事業の中心は国内ですが、発電機や船外機など一部製品の海外展開が進んでいます。また、新興国市場への農業機械の投入を徐々に拡大する計画があり、今後は海外展開を強化していく方針と考えられます。

国内の農業従事者の高齢化や人手不足が深刻化する中、ホンダは自動化技術を活用した農業ロボットの開発にも注力しています。こうした取り組みを通じて、国内外の第一次産業の課題解決と事業拡大を目指していくと推測されます。

トヨタとの違い

ホンダは、スポーティで革新的なイメージを前面に押し出しています。
一方でトヨタは、実用性や信頼性、コストパフォーマンスを重視したポジショニングをとっています。

具体的には:

【ホンダ】

  • スポーツ性能や走行性能を強調したモデルが多い([1]の記事より)

  • 新技術の開発や革新的なデザインで差別化を図る([4]の記事より)

  • ブランドイメージは"革新的"、"スポーティ"、"楽しさ"などがキーワード

【トヨタ】

  • 実用性や経済性、信頼性を重視したモデルが主力([1]の記事より)

  • 幅広い層をターゲットにした車種ラインナップ

  • ブランドイメージは"実用的"、"堅実"、"コストパフォーマンス"などがキーワード

このようにポジショニングを分けている理由としては、以下が考えられます。

  1. 競合他社と明確に差別化を図るため

  2. 自社の強みや特徴を最大限に活かすため

  3. 異なるニーズの顧客層をカバーするため

ホンダは比較的小規模なメーカーだったため、スポーツ性能や革新性を武器に、トヨタとは違う顧客層を開拓してきました。一方トヨタは、幅広い層に受け入れられる実用本位の車づくりを志向してきたと考えられます。

このように、両社はお互いに違うポジショニングを取ることで、競合を避け、自社の強みを最大限に生かせる製品開発やブランディングを行ってきたと言えるでしょう。

参考:
[1] https://ameblo.jp/withallone/entry-10230802369.html
[2] https://www.freee.co.jp/kb/kb-launch/head-office-location/
[3] https://www.wowcom.co.jp/blog/datamarketing/what-is-positioning-strategy/
[4] https://www.asmarq.co.jp/column/column-cat/glossary/branding2/brand_positioning/
[5] https://souken.shikigaku.jp/19856/

ホンダはもともとはオートバイメーカー

本田宗一郎が本田技研工業(現在のホンダ)を創業したのは1948年9月24日です。

[1]の記事によると、本田宗一郎は1948年に「本田技研工業」を設立したと記載されています。

[4]の本田技研工業75年史の記事でも、「1948年9月24日、本田宗一郎は東京・渋谷区に資本金100万円の本田技研工業株式会社を設立した」と創業の日付が明記されています。

また、[3]の記事でも「同社(本田技研工業)はそもそもオートバイメーカーとして1948年に設立された」と創業年が示されています。

つまり、本田宗一郎による本田技研工業(現ホンダ)の創業は1948年9月24日と複数の信頼できる情報源から裏付けられています。創業当初はオートバイ(二輪車)メーカーとしてスタートし、後に四輪事業にも進出していったことがわかります。

参考:
[1] https://souken.shikigaku.jp/19856/
[2] https://www.honda.co.jp/marine/marine-dna/
[3] https://www.nippon.com/ja/column/g00635/
[4] https://global.honda/jp/guide/history-digest/75years-history/chapter1/section1/
[5] https://ja.wikipedia.org/wiki/本田宗一郎

終戦からわずか3年後に創業し、時代に乗れた?

日本の終戦は1945年8月15日で、本田宗一郎が創業したのが、1948年9月24日です。

時系列で列挙していくと、わずか3年後創業し、以降、国内需要は天井まで達し、海外に目を向け、東南アジアの2輪車の需要を捉え、石油危機により四輪車の需要も捉えていったという形に見える。

本田宗一郎の営業手法が秀逸で当時の総理大臣より収入があった

こんな逸話が残っているようです。

本田宗一郎は、自身で開発した「バタバタ」と呼ばれる補助エンジン付き自転車を、直接顧客に売り込む営業活動を行っていました。

具体的には:

  • 自ら自転車に乗り、町中を走り回って実演販売を行った

  • 自転車に乗りながら「バタバタ」の音を立てて注目を集め、興味を持った人に説明して販売した

  • 当時の総理大臣並みの収入を得られるほど、この直接販売が効果的だった

このように、本田宗一郎は自身の製品の性能を直接顧客に体験してもらうことで、製品の優位性をアピールし、販売につなげていました。

さらに、本田は製品の改良にも余念がありませんでした。

  • 顧客から出た意見や要望を製品改良に生かした

  • 自ら製品を使いながら課題を発見し、改良を重ねた

このような地道な活動を通じて、口コミで評判が広がり、需要が高まっていったと考えられています。

創業当初は資金的にも人的にも制約があり、大々的な広告宣伝は難しかったため、このような直接的な営業アプローチを取らざるを得ませんでした。

しかし、本田宗一郎のこうした実直な姿勢が顧客の信頼を勝ち得て、事業の基盤となったと言えるでしょう。

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