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地球建築家vol.9 堀部安嗣 Ⅲ

圧縮された一層

堀部先生の事務所で働かせて頂いた最終日、食事に誘って頂いた。

本当に嬉しかった。

店の名前も所在地も忘れてしまったが、餃子とビールをご馳走になったことははっきり憶えている。先生と所員の方と私の三人だった。

「この店のビール、本当にキンキンに冷えててさ。たまに凍ってるからね」と冗談をおっしゃって場をなごませようとしてくださったが、私は緊張してぎこちなく笑うことしかできなかった。

心から尊敬する人の前ではどうしても緊張してしまい、うまく話すことができない。

絶品の餃子に舌鼓を打ちながら、当然のように建築談義になった。

私は緊張しながらもここだけはゆずれないと、大先輩のお二方に、それまでつちかった建築の知識を総動員して議論に参戦した。

地球建築家vol.9 堀部安嗣 Ⅱでも書いたが、堀部先生は流行に迎合せず、自分の建築に対する信念を貫き通している方である。

堀部先生はジョッキのビールをひとくちクイッと飲んで、少し遠くを眺めながら「ああ、マイノリティーだね」と突然おっしゃった。

マイノリティーとは「少数派」ということだ。自分の設計する建築がマイノリティーだという意味だった。逆にマジョリティーはその当時の流行を追った建築のことだ。

いつも自分の信念を貫き通してはいるが、やはりその中ですさまじい葛藤があるのだ。その迷いのようなものが一瞬垣間見えた。

正確に何を質問したのか忘れてしまったが「先生は、建築をつくって何を訴えたいのですか」といったような事を質問したと思う。

その返答ははっきりと憶えている。

「圧縮された一層をつくりたい」

建築を地層に例えた言葉だった。

世の中に存在している建築の地層。密度がうすく、軽々しい建築ばかりが降り積もっている。

しかし先生は、密度の濃い、重量感のある、圧縮された一層をつくりたいからこそ自らの信念を決して曲げないのだ。

それはなによりも「建築が好きだから」だろう。しかしそれだけではなく「建築に対する責任」のようなものが感じられた。

確かに、私が今まで感動してきた建築は全て「圧縮された一層」だった。

いつの時代も、圧縮された一層が人々に感動を与え、建築をこころざす者の希望の光となってきた。世の中に圧縮された一層の建築がなくなってしまったら、建築文化はそこで成長を止めるだろう。

店を出て去っていく先生の後ろ姿は、次の戦いに向かう戦士のように見えた。

そのとき私は「圧縮された一層」をつくることを心に決めた。

全ての設計者がその気概を持った時、きっと世界の風景は変わると信じている。




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