「発達障害あるある」の存在を疑い、突き詰めてみて考えてみた
久しぶりのnote。
前々から「発達障害」という括りが非常に乱暴で、この括りでアドバイスやらなんやら語る風潮に大変嫌気が差しています。
そんな中「発達障害あるある」をネット上でしばしば見かけます。
発達障害の代表例として「ASD(自閉スペクトラム症)」「ADHD(注意欠陥・多動性障害)」が挙げられますが、それらの特徴として挙げられるのは以下の通り。
ASD(自閉スペクトラム症)
・コミュニケーションが苦手
・こだわりが強い
・想像力が乏しい
ADHD(注意欠陥・多動性障害)
・ケアレスミスが多い
・短期記憶が弱く、忘れっぽい
・発想力が豊か
・衝動的に行動する
・スケジュールが立てられない
まあ、そういう特徴は実際あるでしょう。あるでしょうけど、この特徴は以前のnoteでも書いたようにかなり幅が広い。
確実に言えるのは、「発達障害」となるかどうかは脳の得意・不得意の差だけでなく、周囲の環境や人間関係によっても大きく変わります。
だから「障害」と「非障害」の境界なんてあるようで実はない。グラデーションのようなものです。
そして、完全なASD・完全なADHDはほとんどない。多くはASDとADHDは併存し、先に挙げた特徴が出たり出なかったりする。
(※出典:LITALICO発達ナビ 最終閲覧日:2020-11-24)
それだけ曖昧なのに、「発達障害あるある」って本当にあるの?と私は疑っています。
Twitterなどで呟かれている「発達障害あるある」は、一体何を指しているのでしょうか?
「発達障害あるある」ってなんなのか、分類してみる
「発達障害あるある」は、大きく一次的なものと二次的なものの2つに分けられると考えます。
一次的なあるある(脳の性質に直接由来する事象)
・短期記憶が弱いため、忘れっぽい(ADHD)
・情報を取捨選択できず、ミスが多発する(ADHD)
・細部へのこだわりが強く、物事の遂行が困難(ASD)
二次的なあるある(一次的なあるあるに由来する事象)
・度重なる失敗により、自己肯定感が低くなる
・自分も失敗するため、他人の失敗に寛容になる
・コミュニケーションが難しいため、友人関係が狭くなる
ちなみに、事象そのものや事象が起こる原因はこの限りではありませんし、そもそもこんな事象がないことも普通にあります。あくまでネット上で見られる事象をまとめました。
このように、脳の性質に直接由来するか、間接的に由来するかで分けられると考えます。
しかし、脳の性質に直接由来する「一次的なあるある」は先述した通り大変幅が広く、その「程度」や「頻度」は同じあるあるでも大きく異なります。
二次的な事象についても同様です。
脳の性質に由来するミスや失敗について、内容や程度・頻度が人によって大きく異なる以上、その意味付けや捉え方のバリエーションは本当に人それぞれ。
更に言えば、ミスや失敗の捉え方なんて、元来の性格やこれまでに築かれてきた価値観によって大きく変わります。「自己肯定感が低い」も「他人に優しくなれる」も、いわゆる特性があるからそうなるわけではありません。
そう考えると「あるある」で縛ることには、大きな無理があるように思います。
「発達障害あるある」の捉え方
TwitterなどSNSには色んな「発達障害あるある」が溢れています。
私も「これは自分にも当てはまるな」とか、「確かに今までこんなケースがあったな」とか感じることはありましたが、あるあるなんてそんなもんだと思っています。
心理学にバーナム効果と呼ばれる現象があるのは、ご存知の方も多いのではないでしょうか。
占いや血液型による性格診断など、だれにでも該当するような曖昧で一般的な性格に関する説明を、まさに自分のことだと思いこんでしまうこと。
※出典:コトバンク
いわゆるASD(自閉スペクトラム症)の特徴として挙げられる「こだわりの強さ」や、ADHD(注意欠陥・多動性障害)の特徴として挙げられる「ケアレスミスが目立つ」「忘れっぽい」は、多かれ少なかれどんな人にもあります。
ただ「程度」や「頻度」が大きかったり多かったりすることで、障害になり得るというだけです。
こうなると、「発達障害」の対義語としてよく見かける「定型発達」なる言葉もその意味づけが危うくなります。
「定型」が厳密に何を指すか不明ですが、額面通りに捉えれば、各種能力が型にはまったようにどの能力も平均的である、ということでしょうか。
そんなわけないでしょう。逆にどの能力も平均的に発達している人が本当に存在するのでしょうか。人間誰しもが得意・不得意を持っていて、努力しても難しいこと、努力せずともこなせること、皆それぞれあります。
また、どれだけ能力のある人でも、周囲の環境や人間関係、体調によって高いパフォーマンスを発揮できないことなんてザラです。
自分が何が得意で何が不得意か、仕事をこなす上で何ができて何ができないか、環境次第で全然変わったりするものです。
脳の性質以外の要素で大きく左右されうるのに、何故むりやり「発達障害」と「定型発達」に分けようとするのでしょうか。
私はADHDと診断されたけど、"今"困ってない
私は2017年にADHDと診断されました。ですが3年以上経った今、別に困ってることがないんです。
これは決して「困ってない自慢」をしたいわけではなく、やり方や環境次第で障害にならなくなるケースがあるということ。
学生だった20代前半はタスクやスケジュール管理も上手くできず、忘れっぽくてあり様々なミス・失敗を重ね、二次障害としてうつに罹患したこともありました。ですが今は色々試行錯誤した結果、スケジュールやタスクの管理ができて大きなストレスを感じることなく、生活・仕事ができています。
ケアレスミスの数も、今では大きく減りました。
ただ、これで安心、とは全く思いません。
何かのきっかけで、また「障害」となる日が来るかもしれないからです。
大きなストレスに晒された結果、管理が行き届かずミスを頻発したり、予定をすっぽかしたりして、周囲からの信頼を失う日が、またやってくるかもしれません。
自分自身成長した実感があるので、以前ほどガクッと落ち込むことはなさそうだけど、可能性はないとは言えない。
脳の性質だけでなく周囲の環境によって左右されうるし、また起こる事象に対しての意味づけ次第でも変わってくる。
それくらい「障害」は水物だと思います。
そして今ある「障害」が「障害」にならなくなる社会づくりを、これから数年・数十年単位で地道にやって行かなければと考えますし、自分自身、これからも歩みを止めてはならないと思っています。
※参考サイト
ASD(自閉症スペクトラム、アスペルガー症候群) | NCNP病院 国立精神・神経医療研究センター
https://www.ncnp.go.jp/hospital/patient/disease06.html
もう一つの特別支援教育
ADHDとアスペルガー症候群の7つの違い - 症状の比較と合併症状について【LITALICO発達ナビ】
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?