しょうへい

1991年生まれ。2017年にADHDの診断を受けたけど、これを「障害」と捉えることに…

しょうへい

1991年生まれ。2017年にADHDの診断を受けたけど、これを「障害」と捉えることに違和感があったので、今は「障害」とは何かをずっと考え中。

最近の記事

「相関関係」も「因果関係」もあるのか疑わしいのに、「発達障害は◯◯」と語らないでよ

私のアカウントで固定しているツイートがあります。 ざっくり言えば、2021年の目標です。 ツイートのまんまなので敢えて説明するようなことでもありませんが、ここ数ヶ月、発達障害に関するツイートを見て、勝手ながら「このままじゃまずい」と思い、立てた目標です。 このうち、2番目のツイートの2つ目に書いた、「"発達障害""ADHD""ASD"だから◯◯」と断定調で助言する風潮には反対について、そう考えるに至った背景を説明したいと思います。 「発達障害は〇〇」の信憑性「発達障害(

    • アイドルの「ノースキャンダル」を賞賛する意味

      つい1日前noteを書いたばかりだが、未だに怒りが収まらないし、怒りが収まらない自分にもびっくりしている。 高木さんの件について、アップフロントの迅速すぎる対応がどうしても解せない。 今回の一件で、TwitterやInstagram、ニュースのコメント欄などを巡った。 「ルール違反だから今回の対応は当然」だの、「恋愛したかったら最初からアイドルをやらなければいい」だの、「恋愛したかったらアイドルじゃなくアーティストになればよかった」だの。 実際に高木さんやJuice=

      • 「アイドル=恋愛禁止」が独り歩きしてないですか?

        今日のJuice=Juiceの高木紗友希さんの活動終了のニュースを見て、とてもとてもやりきれなさを感じたので感情に任せて書きます。 同棲報道が出たのが昨日の11日、そしてJuice=Juiceおよびハロプロの脱退が決まったのが今日の12日。報道が出てたった1日で脱退。理由はこれ。 「自覚を欠いている」と総合的に判断、って書かれてるけど。どの部分でそう判断されたのだろう。複合的な理由かもしれないけど、大きな理由として「交際の事実」があることは想像に難くない。今までのハロプロ

        • 「発達障害あるある」の存在を疑い、突き詰めてみて考えてみた

          久しぶりのnote。 前々から「発達障害」という括りが非常に乱暴で、この括りでアドバイスやらなんやら語る風潮に大変嫌気が差しています。 そんな中「発達障害あるある」をネット上でしばしば見かけます。 発達障害の代表例として「ASD(自閉スペクトラム症)」「ADHD(注意欠陥・多動性障害)」が挙げられますが、それらの特徴として挙げられるのは以下の通り。 ASD(自閉スペクトラム症) ・コミュニケーションが苦手 ・こだわりが強い ・想像力が乏しい ADHD(注意欠陥・多動

        「相関関係」も「因果関係」もあるのか疑わしいのに、「発達障害は◯◯」と語らないでよ

          自分の困りごとが、本当に「発達障害」が原因かを考える

          前のnoteにも書いたが、「発達障害」とは実にあいまいな概念である。 実にあいまいな概念であるのに、「障害」なんて仰々しい言葉が使われるから余計に混乱を招く。 そもそも「発達障害」が何なのか、分かっていないことは本当に多い。 結局のところ「発達障害」って何なのよ??「発達障害」の定義について、厚労省と文科省のサイトを覗いてみるとこう書かれている。 脳の機能的な問題が関係して生じる疾患であり、日常生活、社会生活、学業、職業上における機能障害が発達期にみられる状態をいう。

          自分の困りごとが、本当に「発達障害」が原因かを考える

          「発達障害は○○」「ADHDだから○○」の主語が大きすぎる件について。

          これまで黙っていたADHD(注意欠陥・多動性障害)のことをnoteでぶちまけて、いわゆるADHD用(?)のTwitterアカウントを作ったのは3月のこと。 それから5ヶ月経って、いろいろ見えるものがあった。 一番驚いたのは、同じ悩みを抱えている人がたくさんいたこと。 プロフィールやアカウント名にADHD、またはASD(自閉症スペクトラム)のことを書いていたり、俗に言う発達特性(凹凸とも)から来る困りごとを吐露していたり、はたまたライフハックを共有したり。 Twitte

          「発達障害は○○」「ADHDだから○○」の主語が大きすぎる件について。

          「発達障害」の表現に思うこと

          「障害」の表現については今までにかなり議論されて話題にもなった。 「害」の漢字自体がネガティブな意味を持つ上に、「気分を害する」のように他動詞的に使われるため、「障害」がある人に問題があるように受け取れてしまうからだ。 かといって「障がい」「障碍」と表記したところで本質的に変わらないと思うが、そこを踏まえた上で違和感を覚えるのが「発達障害」という表現。 一当事者として言うと、正直しっくり来てない。 この違和感はどこから来るのだろうか? 「発達」「障害」の意味を改

          「発達障害」の表現に思うこと