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自分の困りごとが、本当に「発達障害」が原因かを考える

前のnoteにも書いたが、「発達障害」とは実にあいまいな概念である。

実にあいまいな概念であるのに、「障害」なんて仰々しい言葉が使われるから余計に混乱を招く。

そもそも「発達障害」が何なのか、分かっていないことは本当に多い。

結局のところ「発達障害」って何なのよ??

「発達障害」の定義について、厚労省と文科省のサイトを覗いてみるとこう書かれている。

脳の機能的な問題が関係して生じる疾患であり、日常生活、社会生活、学業、職業上における機能障害が発達期にみられる状態をいう。
※引用元:eヘルスネット(厚生労働省)
発達障害とは、発達障害者支援法において「自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能の障害であってその症状が通常低年齢において発現するものとして政令で定めるもの」と定義されています。
※引用元:文部科学省公式サイト

どちらも脳の「機能障害」と定義しており、脳機能の問題で日常生活や社会生活に困難が生じている…と書かれているが、脳機能はどのように検査されるのだろうか。

「発達障害」の診断方法

ADHDやASDやLDなど、いわゆる発達障害の診察で行われる検査は大体この3つ(やってないとこもある)

・問診
・心理検査
・知能(IQ)検査

「問診」は過去の生育歴や生活習慣・困りごとについてのヒアリング、「心理検査」は所定の質問に択一式で回答、「知能検査」はWAIZ(ウェクスラー成人知能検査)と呼ばれる知的機能の検査。

見ての通り定量的な検査はほとんど行わない。というか行えない。そもそもはっきりした数値基準がない。

「知能検査」は各項目のIQが数値として出るので、ある種、定量的な検査と言えそうだが、「数値が○○以下だから発達障害」というような数値基準はないし、その時々の体のコンディション・時間帯によって、検査結果に変動がある可能性も充分考えられる。

MRIやCTを撮られるわけでもなく、脳波を測定するわけでもないので、検査を受けた身としては、肩透かしを食らった印象は否めなかった。

とはいえ、私はADHDの診断を受け、ストラテラを服薬するようになってから事態は好転したので、困りごとは解消に向かった。

ただ疑問は残った。

困りごとの原因=発達障害?

「発達障害」そのものに対する疑義やその診断基準のあいまいさ、服薬治療のリスクなどは方々で議論されてるし、私自身、現在の診断方法が良いとは思っていない。しかし、まだまだ知らない・分かっていないことが多すぎるので取り上げない。
そもそも「発達障害」の定義がどうであれ、日常生活や社会生活を送る上での困難を解消したい、それに尽きる。そのためには病院にも通うし、薬だって飲むし、自助努力もするし、勉強も惜しまない。


ただ、ここで1点気をつけたいのが、本当に困りごとが発達障害に起因するものなのか?かどうか。

ADHDと診断される前、自分、または周囲が困っていた(と推測される)ことは以下の数点。

・ケアレスミスが多い
・前に言われたことをすぐ忘れる
・物事を先延ばしにする
・話したいことばっかりずっと話す
・落ち着きがない
・臨機応変な対処ができない
・(ほとんどの局面で)気が散りやすく、集中力が続かない

どれもがいわゆる、典型的なADHDの特徴で、改善しようと考え試行錯誤していたこともあったが、上手くいかなかった。

また、周囲からの評価が下がり、自信を無くしてメンタルに支障を来たし、大学を休学したこともあった。

が、これらは全て先天的な脳機能の問題なのか?

他に原因は無いか、改めて考えてみる。

可能性1.愛着障害

発達障害とは別で、愛着障害に呼ばれる障害がある。

幼少期にネグレクトや虐待で適切な療育が行われなかった場合、いわゆる発達障害のようや特性の発現があるとのこと。

この愛着障害自体も、近年生まれた概念で定義がはっきりしていない…が、原因がありそうか、幼少期の生育環境を振り返ってみた。しかし、自分の過去を振り返るとそのようなことはなかった。

両親は共働きで主に祖父母に面倒を見てもらっていたが、少なくとも両親から愛を感じられなかった、と思しきエピソードは無いし、祖父母からは愛情を注がれて育った。なので、愛着障害によって困りごとが生まれたとは考えづらい。

対人コミュニケーションは間違いなく苦手だったが、それが生来の脳機能の問題なのか、生育環境の問題なのか、後者だとは考えづらい。
また、脳機能に問題があったから対人関係が上手くいかなかったのか、対人関係が上手くいかなかったから脳機能に問題が生まれたのか、いわゆる「鶏が先か卵が先か」の話だが、こちらは振り返ったところで覚えてないから分からない…が、生育環境に問題があったとはどうしても思えない。おそらく違うだろう。

可能性2.高次脳機能障害

「高次脳機能障害」は、脳への外傷やその他疾患による脳へのダメージにより生まれる機能障害。

特に幼少期だと発達障害との鑑別が付きづらいらしい。

しかし私は幼少期に頭部に怪我を負った経験は幸運にもない。もし外傷があったとすれば、MRIやCTで撮影した時に痕跡が見えるはずだ。なので可能性はきわめて低い。

可能性3.慢性的な疲労・体調不良

自分で見出しを書いてみたが、非常にバカバカしい。これもまずあり得ない。

少なくともこの特性は体調不良や疲労時に限らず、平常時より一定して見られていた。

もちろん疲れや体調不良によってミスが出やすくなることもあったが、環境変化や人間関係のストレスを加味して考えても、主因にはなり得ない。

やはりADHDなのだろう、ではどうする?

全部の可能性を潰せたわけではないが、ここまでを振り返ってみても、やはりADHD(注意欠陥多動性障害)の診断はまあ、当たっているのだろう。

困りごと・生きづらさの原因が脳の特性だとは分かった。ではどうすべきか?

1個1個の困りごとを洗い出して、何をすべきか。先ほど挙げた困りごとの主因が分かったので、対策を練った。その結果どうなったか。

・ケアレスミスが多い
→これはタスク量や納期にもよるが、チェックフロー・チェック方法の見直しで大きく減った。しかし、未だ時間を掛けてしまう傾向にあり、完全に減ったとは言えない。
・前に言われたことをすぐ忘れる
→こちらは日々の工夫でどうにかなった。1ヶ所にメモを取る。Googleスプレッドシートにやるべきタスクをまとめて、未着手・完了タスクは色を変える。
・物事を先延ばしにする
→こちらも前述のタスク管理により解消。
・話したいことばっかりずっと話す
→何か対策をした…というわけではないが、少なくともADHDという主因が分かりメタ認知ができたので、自身を客観視し状況に応じて冷静に対処できるようになった。
・落ち着きがない
→確かにソワソワすることはあったが、仕事や日常生活で大きな支障は特になかった。
・臨機応変な対処ができない
→これは頭の中がしっちゃかめっちゃかになることで起きていた事態。複数のタスクがある場合、相談の上優先度の高い順から着手。また1個1個のタスクを細分化することで、着手しやすくした。
心理的負担も減り、タスク管理表の「完了」が増えるため、進捗度が可視化とともに自信もUP。
・(ほとんどの局面で)気が散りやすく、集中力が続かない
→こちらも改善の余地が見られるが、少なくとも机上の作業の場合、余計な情報をシャットダウンすること(イヤホンをする、机の周囲を片付ける)で大きく改善された。

これはあくまで私自身のケースであり、まだ改善の余地は見られるものの、多くの困りごとは解消された。

もしADHDと診断されずそのまま会社勤めをしていたら、私の社会人生活は早い段階で破綻していただろう。困りごとの原因を把握し、適切に対策が取れて本当によかった…が、さらなる疑問はここから。

私の困りごとは誰にでも当てはまるのか?

いくつか列挙した困りごととその対策、同じADHDの診断を受けた人にもそのまま当てはまるのだろうか?

答えはもちろんNO。

全部「私」の場合こうだったというだけ。
同じADHDの診断を受けたからといって、同じような困りごとがあるわけではないし、同じような悩みがあるわけではない。

更に言えば、私はストラテラ(現在はジェネリック)40mgを1日2錠服用(減薬しようと思うけど)しているが、同じ薬を同じ量だけ飲めば改善されるとは限らないし、
そして、仮に同じように脳機能に問題があったとしても、他の障害なり疾患なりが関わっているかもしれない。そもそも脳機能の特性がそのまま障害になるとも言えない。

そして重要なのが、困りごとの主因が発達障害がなのかどうか。

私の場合はおそらく先天的な特性だろうと自分の中で結論づけた。しかし、前述したように困りごとや生きづらさの原因は「今までの生育環境」かもしれないし、はたまた「ストレスや体調不良」かもしれない。
脳の特性とは無関係で、今いる環境や人間が合わないから、パフォーマンスが低下しているのかもしれない。

そう考えると、「困りごとや生きづらさの原因は発達障害」だなんて安易に言えない。

なのに「発達障害だと◯◯」とか「△△だから発達障害」のようにやたら一般化した言説が、非常に多いように感じる。

スティグマを強めないためには

SNS上で発達障害の特徴を語る際、ことさら断定口調で、余計に不安を煽るような文言をよく見かける。

発達障害に起因したミスやトラブルはもちろんあるだろう。それは個々人も試行錯誤して解決に向けた方が良いし、向けなければならないが、「発達障害だから◯◯」または「△△だから発達障害」などと言って主語を大きくして特性・特徴を語るのは危険だ。

確かに、それらの発言を見て、自分にも当てはまるなと納得することは結構あった。しかし、いわゆる発達障害に見られがちな脳の特性があったとしても、当人も周囲も困っていないケースだってある。

結局どんな診断が下されようが、特性の現れ方も、特性による困りごと・悩みごとも千差万別。
そんな中で「発達障害だから◯◯」「△△だから発達障害」と断言するのはそもそも無理があるし、何よりそれらの発言を見た当事者のスティグマを強めかねない。

スティグマは「キリストが処刑された際に付けられた傷」「奴隷や犯罪者につけられる烙印、象徴」が元々の意味だが、そこから派生して「差別や偏見の対象となる属性」という意味が生まれた。

私が何より懸念しているのは、過度に一般化した発言をすることで、自身の困りごと・生きづらさの原因を必要以上に発達障害に求めてしまい、発達特性を自身のスティグマだと認識しまうことだ。

発達障害の診断を受け、これまでに色々と苦悩してきた身からすると、あまりに不健全である。
自身の特性や困りごと・生きづらさについて個人的主観で「△△だから◯◯だ」と断定的に語られて、良い気持ちになるだろうか。それがネガティブな内容であれば尚更。そんな発言を見て、自信をなくしたり自己肯定感が下がったりすることは、想像に難くない。

自信・自己肯定感に揺らぎが出れば、自己分析・メタ認知の精度が揺らぎ、過度な自責に至ることだってある。そうなれば、問題の建設的な改善は望めない。
起こったミス・トラブルが決して自分のせい、または自分だけのせいではないのに、「自分の発達障害が原因なんだ…」と自責させてしまうことが、果たして本当に健全なのだろうか?

もちろんそう感じない、そんなこと気にしないという人だっているが、発達障害は非常にデリケートなテーマ。一個人として自身の障害を語るならまだしも、一般化して「発達障害は○○ですよ」と語るのは誤解や偏見を生んでしまうのでないだろうか。

ライフハックの共有にしろ、障害に対する私見を語るにしろ、非常に慎重にならないといけないと感じている。

そして何より、困りごと・生きづらさの解消で大事なのは、「障害」ではなく「人」を見ることではないか。
「障害があるから○○しよう」ではなく、各人の困りごとにどのようにアプローチすれば解消できるか。いわゆる当事者支援では、そのような姿勢が重要ではと私は考える。

参考・引用元サイト

メディカルケア虎ノ門 公式サイト
https://www.medcare-tora.com/clinic/adult.html

発達障害の専門家は「未熟さ」と「先天性の脳機能障害」を区別できない | 文春オンライン
https://bunshun.jp/articles/-/39100

e-ヘルスネット
https://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/dictionary/heart/yk-049.html

文部科学省 公式サイトhttps://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/tokubetu/hattatu.htm

福井大学医学部附属病院 公式サイト
https://www.hosp.u-fukui.ac.jp/specialty/8006/

はしもとクリニック経堂 公式サイト
http://www.keiman.co.jp/brain

wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%9A%84%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B0%E3%83%9E



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