読書感想文「新世界より」

1000年後の日本、「神の力(念動力」を得るに至った人類。日々、念動力を鍛える少年少女たちは、ある日、先史文明が残した歴史に触れることになる。

貴志祐介さんの文庫版では上・中・下からなるSF長編小説。その世界観や念動力を使った戦闘など、面白い部分はたくさんあるのですが、僕が気になったくだりは上巻の序盤にあります。

知識の落とし穴

それは、現実でもある子どもたちに昔話やおとぎ話を通して、教訓をおしえるというシーン。

そこでは、「悪鬼」という化物が町の外におり、決して外には出て行ってはいけないという話が紹介されています。僕が印象に残っているのは、その話を語り手である女性が説明している部分。以下に引用すると、

この話には、いくつかの教訓が含まれている。

小さな子供にも、八丁標を出てはならないという教えは、容易に理解できるに違いない。もう少し大きくなると、自分の身よりも村のことを案じる、自己犠牲の精神を汲み取れるかもしれない。

だが、本当の教えには、実は、聡明な子供ほど気づきにくくなっているのだ。

まさか、この話の真の狙いが悪鬼の実在を説くことにあるなどと、いったい誰が考えるだろうか。

僕たちが子供の時に聞いた昔話でも、鬼や妖怪などの化物が登場するお話は数多くありました。成長するにつれ、その昔話には、「嘘をついてはいけない」「友達は大切に」という教訓が暗に示されていたのだと気づいていきます。そして、子供の時は信じていた鬼や妖怪は実在しないということにも気づいていきます。

つまり、知識を得ていく中で、物語を言葉どおり、ストーリーどおりに受け止めることが少なくなっていくということです。

ありのままの事実を見つめること

大人になるにつれ、目の前の事実に対して様々な視点から検討することが増えていきます。可能性を検討することは悪いことではないと思いますが、その際、その事実そのものを真正面から見つめるということを忘れてはいないでしょうか?

例えば、あなたが上司から厳しい言葉で叱責された時、頭の中では、

「自分のことを思って言ってくれているんだ」

と思っているかもしれませんが、上司が厳しい言葉を使って、あなたを責めているという事実は変わらないのです。

一つの事実に対して、様々な視点から見たり、意味づけをすることは自分のモチベーションにつながったり、事故の防止につながったりする大切な作業だと思います。ですが、斜めから見たり、上から見たりするのに一生懸命になって、事実そのものをありのままに見ることが疎かになっていないでしょうか?