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「戦わなくていい場所」があること

今月いっぱいで、2年間働いた今の職場から離れ、出向元に戻ることとなりました。

出向期間中の詳しい業務については伏せますが、関連会社でもない完全に他社への出向では様々な気づきがありました。
仕事の内容も違えば、文化もルールも違う。
そういう環境で働く中で、自分にとっての仕事や居場所というものについて深く考える機会となりました。

出向を希望して行く人もいるでしょうが、私の場合は上からの辞令でしたので、そこに私の希望や意志はありません。
希望の会社に落ちてしまった人とか、特に志望理由が無くとりあえず就職した人と似たような形で出向業務が始まりました。

そんな経緯もあってか、働いている中でふと、
「なんでここにいるんだろう?」「自分の価値って何なんだろう?」
と考える機会が多々ありました。

そういう思いを抱えている人たちに、少しでも役に立てればと思い、この先の筆を進めます。

新しい生活の始まり

他の出向者はどういう始まりなのかは分かりませんが、私の場合はすごーくゆるく始まりました。

出向前までの業務と比べると、家を出る時間は遅くなるし(しかも公共交通機関での出勤のため、朝の渋滞が無い)、定時になると「帰っていいよ」と言われるし(これが普通?)、休日に仕事の電話がかかってくることも無いと。業務内容も、制度の運用に関わる書類の受付や整理等だったので、日や時期によって業務量にかなりバラつきがあり、着任当初はゆったりとした時間が流れていました。
ハードな前職とのギャップもあってかその衝撃は大きく、ここでは心安らかに働けそうだなと思ってました。最初は。

着任当初の業務内容の確認や作業を終えると、待っていたのは「特にやることがない時間をどうするか」という問題でした。

「給料をもらっているんだし何か仕事をしなくては」と思い自分が担当する業務の過去の資料の整理やデータをまとめたり、他の人もできるようにマニュアルを整備しようとしたりと、自分で仕事を作っていましたが、それも底をつき、じゃあ同じグループ内の業務を手伝おうと思い申し出ても「大丈夫だよ」と答えられ、着任して2ヶ月後には、膨大な勤務時間を持て余す状態になっていました。(注:秋からは鬼のように忙しくなりました)

現代にもあるのかは分かりませんが、会社を辞めてほしい人を入れる「追い出し部屋」というものがあるそうです。そこでは大した仕事も与えられず、ただ出勤して終業時間までいるだけということが行われているそうですが、まさにあの時の自分はそれに近い状態だったと思います。自分がここにいる意味が見いだせず、自分の価値なんて感じられませんでした。

自分の手の中にあるもの

精神的にまいってしまった私はこの状況を突破する何かの糸口になればと思い、藁にもすがる思いでコーチングを受けることを決めました。

コーチとは主に、今の仕事の悩みについて色々と話し合ったのですが、学びの一つは自分がすでに持っているものに目を向けるようになったことです。

私は自分の悪いところ・欠点を直したいという思いが強いのですが、行き過ぎると「いつまでも結果を出せない自分」や「成長していない自分」、「憧れの人たちとの距離が縮まらない自分」ばかりに目がいき、自己否定や自己嫌悪がどんどん強くなっていきがちです。
某名作の「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」という言葉が常に自分に向けられていて、無意味に時間が経つ勤務時間によって、成長していない自分、理想へ近付いていない自分への焦りや不安が膨れ上がり、どうしようもなくなった結果が出向後の状態だったようです。

端的に言えば、「成長していない自分に価値なんて無い」という心理条第でした。

そこでコーチングを通して、丁寧に「今自分ができていること」「なぜか人に褒められたこと」を探っていくことで、今の自分のままでも価値を持っているということに気付かされました。

この話をした時のコーチの言葉が印象的だったので、紹介します。

「今がすごいということに気づけたら、あとはプラスアルファになる。どこにスタート地点を置くのかという違い。『今が足りていない』というところに置けば、マイナスからのスタートになるし、『今もすごい』というところに置けば、プラスからのスタートになる」

自分をどの視点で見るか。

それをコーチングを通して教えてもらい、自分の価値とはすでにあるものなんだと気づきました。

「機能価値」と「存在価値」

社会学者のフェルディナンド・テンニースは共同体を二つに分類しました。目標達成を追求する営利企業に代表されるゲゼルシャフト(機能共同体)と、存続や安心感を追求する地縁・血縁関係に代表されるゲマインシャフト(価値共同体)の二つです。この二つは先の言葉を借りるならそれぞれに「機能価値」と「存在価値」を基盤に存在していると言えるでしょう。
(「もしアドラーが上司だったら」より抜粋)

人の価値には「機能価値」と「存在価値」というものがあるそうです。「機能価値」は自分の能力や仕事のやり方の優劣、「存在価値」は自分のあり方というように、本書では説明されています。

会社というのは「機能価値」で評価される場所です。会社の目的としては、成果をあげなければ存続できませんから、その成果を出すための能力に秀でた人を求めるのは、ある意味当然のことです。

その「機能価値」でばかり評価されることが多くなれば、それだけが自分の価値だと思いこんでしまいます。

コーチングでは自分の気づいていない「機能価値」に気づく機会を得ました。
でも、たとえ「機能価値」が低くても、人には「存在価値」というものが必ず存在します。

たとえその仕事ができなくても、同僚よりも劣っていても、あなたの心根やあり方を評価してくれる人や場所は必ずあります。

私にそれを気づかせてくれたのは家族でした。

仕事が上手くいかず落ち込んで帰ってきても、いつもと変わらず接してくれる家族を通して、仕事ができなくても自分を受け入れてくれる人がいるんだということ、「仕事ができなくても、変わらない自分の価値がある」と気づきました。

戦わなくていい場所

「機能価値」で評価される社会は戦場です。それを維持・向上させるために、常に競争や成長を求められ、能力が満たなければ否応なく落とされていきます。

戦地に身を置き続けると、その争いに身も心も消耗していってしまいます。結果、精神を病んだり力尽き果て、残念な形でそこを後にする人たちもいます。

そうならないためにも、戦いのことを忘れて、安らげる場所が必要です。

自分が「機能価値」で評価されず、自分の存在そのものが認められているような場所を作っていってほしいと思います。

そういうものが思いつかないという人は、「自分が『好きな自分』でいられる相手は誰か」という視点で考えてみてはどうでしょう。

人は様々な人との関係性の中で生きています。

「好きな自分でいられる」ということは、そういう自分でいさせてくれる人があってのことです。そして、えてしてそういう人との時間は心地よいものです。

それは家族や趣味の仲間、気の合う友人など、人によって様々かと思いますが、そういう人たちとの時間を大切にすることが、あなたの戦いで疲れた心を癒やしてくれるのではないでしょうか。

おわりに

ひたすらに走り続けていると気づかないものですが、こういう困難や試練で立ち止まった時に初めて、人はあるチャンスを手に入れます。

それは、「今の自分のステータス画面を確認できる」というものです。

ゲームだと都度、自分のステータスや持ち物を確認できますが、現実ではそうはいきません。いつの間にか状態異常になっていたり、自分が持っていると思っていたものを持っていなかったり、なんてことが多々あります。

これまで走り続けられてきたのは、その勘違いをしているままでも十分クリアできる難易度だったからです。

ただ、壁にぶつかったときはそうはいきません。
一度宿屋に行って体力を回復させなければいけないかもしれないし、自分の装備を見直さなければいけないかもしれないし、新たなスキルを身につけなければならないかもしれない。

私は今回の出来事で、自分がいつの間にか手に入れていたものに気づく機会を得ました。そして、それはまた走り続ける際の不安や焦燥を柔らげ、再び足を止めたときに休むことのできる場所でした。

今、休むこと無く戦い続ける皆さんにも、今回私が気づいたような「戦わなくてもいい場所」が見つかることを願っています。