#今週の週報 (22.5月4週)
銭湯の体重計はわざと軽めの体重を見せて、飲食コーナーでたくさん食べさせようとしているのではないかと疑っています。
今週の週報です。
1.好きなことと向いてること
仕事の議論の中で出てくる「好きを仕事にするか否か」の話。
今読んでる本の中で、「好きなことと仕事として向いてることは必ずしも両立しない」ということが書かれてあって、そこから昔読んだ本のセリフを思い出しました。
元々ファッションが好きでファッション雑誌の編集者になりたかった主人公が、やっと編集に携われた後に言ったセリフです。この言葉が当時の僕には妙に印象的でした。
このセリフの前後の内容はうろ覚えですが、受け入れるまでは相当な葛藤があったと思います。
「自分がやりたいと思った仕事なんだから結果をださなきゃ」とか「こんなはずはない、自分の頑張りが足りないんだ」とか、そう思いながらも成果が出ない日々。それを経てのこのセリフだったんじゃないでしょうか。
念願叶って自分がやりたいと思える仕事について、それが上手くできなかったとき、思ってたのと違ったとき、自分はどう思うのだろうと考えさせられます。
小説の彼女のように、葛藤を抱えながらも受け入れることができるのか、それとも現実から目を背けながら「これがやりたい仕事だ!」と続けるのか。「好き」を取るのか「得意」を取るのか。自分の仕事へのスタンスを問われているのだと思いました。
2.ファンタジーはどこへ
古い街並みを歩いていると、すごくグッときます。
同じ日本なのに、違う国にいるような感覚になります。そこから昔、どんなことがあったのだろうと想像をかき立てられます。
最近では科学の発展でいろいろな現象について、真実が分かってきています。
雷は静電気によるものだし、オーロラは太陽の活動によるものだし。きっと昔の人たちは、雷を天の怒りだと思っていただろうし、オーロラは奇跡的な現象だと思っていたでしょう。
科学の発展は素晴らしいことですが、こういう現実のファンタジーを無くしてもしまいます。一度知ってしまうと知らなかった頃には戻れないので、知らない人や子どもたちが羨ましく思えます。
現実世界のファンタジーというのは、「本当のことは分からないけど、きっとこうなんじゃないか」という遊びや余白があるところにいるんだと思います。
そういう意味では、歴史なんかはファンタジーですよね。過去の書物や手紙なんかが出てきても、その時代を生きていない限り本当のところは分かりません。
僕が古い街並みにグッとくるのも、そんな歴史のファンタジーを感じているからなのかもしれません。
3.自由じゃなくて出口が欲しい
今読んでいる「カフカ寓話集」(まだ序盤だけれどよく分からなくて挫折しそう)で、こんなセリフがありました。
この言葉が妙に印象的で、いろいろと考えてみました。
きっとこのセリフを言った人物は、ある程度の束縛はほしいけれど、何かあった時に逃げれるようにはしておきたい、と考えているのではないかと。
そう考えたときに思い出したのが、サラリーマンという職業です。会社に勤めて、すべてがすべて自由というわけではありませんが、休みがあったり誰かと酒を飲んだりと、その束縛へのはけ口はあります。
「もっと自由になりたい」と口では言っていても、そこから動こうという人は、出口があれば十分だと思っているのかもしれません。
4.もしもの話がしたくて
だれでも「もしもあの時こうしていたら…」ということの1つや2つあると思います。
それが実際に叶っていたら、今どうなっていたんだろうと。
今より幸せだったのか、それとも今より不幸だったのか。
その時は「もしも」と考えていたことが正解だったのかもしれません。だけど、その時を過ぎた後はどうなっていたかは分かりません。
結局、今を起点に考えると答えが分かった後での判断なので、ちょっとズルい感じがします。「答え合わせしたから、そう思うんでしょ?」的な。
もっと長い目でみると、まだ答えは分からないとも言えます。誰かが言っていました。「答え合わせはまだ先」と。
もう少し後、もしかしたら5分後には「あの時、ああしといて良かった」と思っているかもしれません。
なんとなく、こういう「もしもの話」がしたくなりました。
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私用で一人ぶらり旅中です。一人のいいところは誰にも気を遣わず、行きたいところに行けることですね。家族や仲間との旅行とはひと味違った良さがありますよね。
ということで、皆さんの一週間はどうだったでしょうか?
今週の週報でした。