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ロサンゼルスに到着してから一年

シアトルからロサンゼルスまで三日かけて一人で運転し、その日々から一年が経ちました。そのときは、たったいま地球にいる多くの人が危惧している問題もこんな状況になることも、もちろん知りませんでした。無事大学を卒業し、OPTを探し、さあ自分のしたい仕事を探そう、と思っていたこの2月中旬でさえも。

わたしが今いるカリフォルニア州では、自主隔離が4月30日まで延長されることが発表されました。住んでいる寮でも、他の州から訪れたアメリカ人たちも、ほぼずっと家にいて、自分にできることをしています。この長い時間を使い、脚本を書いている人や、映画を見て過ごしたり、たくさんのニュースを追っている人も。


そして、わたしは日本に帰ることに決めました。

いつ、アメリカから出られなくなるかもわからない。ビザの期限も迫っている。だけどここを去るならば、荷物を整理して、何も残さないようにしなきゃいけない。片付ける事柄がたくさんある上に、日本にいる家族が心配で、焦りも不安もふつふつと湧いてくる。それでも強く生きないといけない、と自分を奮い立たせています。

一年前は、こんなことになるなんて誰も知らなかったけど、一年後も、どうなっているか誰にもわかりません。当然のことですが、改めて体験とともに感じました。

わたしの大好きなドラマ「すいか」にそのようなシーンがあります。自分の20年後を想像し、あまり幸せそうじゃない自分を考えてしまい悲観している主人公に、大学の教授が言うセリフです。

「本当はどんな20年後が待っているかなんて、誰にもわからないんじゃない?」


わたしたちの人生はなんとも不思議で、楽しくて悲しいものなんだと思います。昔を振り返り、あのときあの人に会えていなかったら、いまのわたしの人生はどうなっていただろう、と思う瞬間がたくさんあります。現に、カフェでたまたま話しかけたらとても面白い人だったり、クラスでたまたま隣になった人と話して同じ趣味だと分かったり、あまり乗り気ではなかったパーティでとても気の合う友人を見つけたり。逆に、わたしがいなければくっついていなかったカップルがいたり。

どんな人にも多かれ少なかれ、そんな瞬間があると思います。それらの大切な出会いがあるからこそ、いま現在の自分の哲学や、性格や夢があるのだと思います。まずわたしは、アメリカに来ていなかったら、これまでの経験も、周りにいる人たちすべてに出会っていませんでした。そんな自分を考えると、少しゾッとします。すごく楽しかった思い出も手にしていなかったのだと。日本にいると、それはそれでどうなっていたのだろうとも考えますが。

未来はどうなるんだろう、大丈夫かな、と悲観してしまうこともありますが、新しい出会いがあるポジティブな未来を想像するのも良いことではないでしょうか。わたしはアメリカに来て、新しい人と出会い、会話し、学ぶことがとても楽しいと感じられるようになりました。そんな一年後を想像し、わたしは日本に帰ります。

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