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ゲイだとか性別とかどうでもいい


「あなたの知らない男性があなたの知らない女性に恋をする」と聞いたとき、ワクワクしたり、興味がある!と思いますか?


シアトルという街に来て、日本とは違うとまず感じたのが、ゲイカルチャー。街中では手を繋ぎ歩く男性カップル。女性同士でキスをするカップル。

そういう彼らを一切見ることなく、横を素通りする他の歩行者たち。なんて素敵なんだろう、と思いました。



日本にいたとき、知り合いが「あの人ゲイっぽくない?」だとか、「めちゃくちゃレズっぽい服だね」など、人を見た目で判断するのに加え、それらを嘲笑するように話すのを不快に感じていました。

わたしには何が面白いかわからないし、そんなことを話すより、美味しいご飯のこと考えようよ、と思っていました。

ゲイだとかバイだとかというものは何ら特別なものではないし、そういった人たちがいるのが普通だと思っているのです。想像してみれば、そういう人もいるのがこの世界だと気づくと思います。まず、男性がいて女性がいる、その時点で違いが生じているので、恋愛対象なんてバラバラであるのがむしろ当然だと思います。

ストレートの男性が女性に恋をする、それと同じように女性が女性に恋をする。それはなんら面白いことでもなく、そういう人たちがいる、というだけ。



この記事の初めの問い、「あなたの知らない男性があなたの知らない女性に恋をする」と聞いたときにどう感じるか。わたしはどうでもいいな、と思います。どこかの国の知らない人たちが恋をして付き合ったり結婚しているでしょうが、一つ一つに興味がある人はほぼいないと思います。みんなが幸せになればいいとは思いますが、それ以上の興味はないんじゃないかと。


では、「ゲイの男性がゲイの男性に恋をする」と聞いたとき、どう感じるでしょう?

わたしは、上の答えと同じように、どうでもいい、と思います。

それと同時に、そういう人たちに興味がない、というのが正解になってほしいとも思います。

いまの世界では、「ゲイってどういう風に恋愛するの?」だとか、興味本位な人が多いので、それがデリケートであるとかないを考えず、その本人たちに悪気もなくぶつけるという人が多いんじゃないかなと。

街中でそういったカップルを見て、指をさして笑ったり、コソコソ話したり、そういう感覚がなくなればいいのに、と思っています。男女のカップルが外にいて手を繋いでいて、ゲイのそれを見るのと同じように反応しますか?

なので、わたしはシアトルに住む人たちの感覚を素敵だと思いました。



まだまだそういったカルチャーに嫌悪感や違和感を抱く人もいるでしょうが、だからといって批判していいという理由にはなりません。気にしなければいいと思います。「そういう人もいるんだね」以上の感想を持たないようになれば、穏やかにみんなが暮らしていけるんじゃないかというわたしの意見でした。

そういう考えもあるんだと思ってもらえれば嬉しいです。


かくいうわたしも両性愛者、つまりバイなので、わたしが感じていたことを綴りました。

他にもたくさんの出来事を通じて感じたことを追々まとめるつもりです。


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