教育実習で絶対教師にはならない!っと決意したが結局教師になった。
そもそもなぜ教員免許取ったのか
大学に入学した時、教員免許を取るなんて夢にも思わなかった。
とにかく農業が学びたくて東京農業大学に入学し、初めての履修システムに右往左往しているとき、父親が「取れる資格は取っておけ!」っと教職課程も履修することになった。
全くもって将来「先生」になるなんて思っていなかったが、授業受けるだけで取れるなら・・・
っと履修を決意したことを覚えている。
地獄の教育実習
よく、教育実習で教師を目指そうと思った。
とか
めちゃくちゃ楽しかった
とか
やっぱり教師って最高!
などの感想を聞いていた教育実習
私も半分楽しみ、半分不安であったが、実際は・・・
めちゃくちゃキツかった・・・
指導案、レポート、授業準備などなど、やること多すぎでビビった。
先生は本当に大変なんだなぁ。
感謝
っとして、「よし!こんなに辛い仕事は選ばないぞ!」っと固く誓ったのだった。
転機になった青年海外協力隊
大学時代、1年間休学してアメリカ農業実習に参加してメキシコ人ワーカーと社長とを繋ぐ中間管理職みたいなことをしていた。
その経験からスペイン語を話せるようになったので(文法とか無茶苦茶だけど)その言語を生かした仕事したいなぁっと思っていたら
「世界も自分も変える、シゴト」っというキャッチフレーズが私の胸に突き刺さり、青年海外協力隊として参加することに。
活動は本当に充実して、
スペイン語を活かしたかったので中南米での活動を希望していたんですが、アフリカ、モザンビークに派遣されることに。
農業指導はもちろん、養蜂指導や、組合の運営、井戸掘り、などなど様々な活動をして、めちゃくちゃ充実していたし、自分自身の経験が様々な場面で生かせることにやりがいと感じた。
活動を開始してしばらくすると東日本大震災が起き
アフリカのど田舎で放送された日本の映像に衝撃を受けた。
それまでは将来は海外で働きたい、グローバルで活躍したいな。
っと思っていたが、日本が大変な時に俺は何しているんだ・・・
っという意識が強くなり、将来は日本で働いて今までの知識や経験を活かそう!
っと思うようになった。
今まで色々な経験してきたけどどの職業なら経験が活かせるだろうか・・・
っと考えるようになり、
教員として生徒と関わり、生徒の成長をサポートしていくことが今までの経験も生きるのでは?っと考え、帰国後は教員になろう!っと決めたのだった。
教員採用試験1回目
モザンビークから帰国したのが6月、
教員採用試験は7月
この1ヶ月詰め込みで勉強したし、講習会にも参加したが、世の中そんなに甘くはなく、
撃沈
当然ですね。
教員採用試験を受験するために愛媛県に訪れた際、モザンビークを支援しているNPO法人、えひめグローバルネットワークとコンタクトを取っていたらそのままインターンとして働くことに・・・
インターンとして働きつつ、次年度の教員採用試験に備えて勉強することになった。
また、NPO法人で働くという貴重な経験を GETした。
さらに、インターンとして働いている期間中に再度モザンビークに行く機会を得て、NPO法人として現地でも活動すことができた。
そんなこんなであっという間に3月末の任期を終え、4月からは地元神奈川県で臨時適任用職員として神奈川の高校で働くことになった。
教員採用試験2回目
高校で働きながら教員としての立ち振る舞いとか、学校現場の実際等を学び、
2回目の教員採用試験に臨んだ。
結果は合格!
おおぉ!
受かった。
そして私の高校教員人生が始まった。
愛媛県の農業教員として
今では教員として働いて10年経った。
大学時代、絶対ならない。っと決めていた教員だが、実際に働いてみると非常にやりがいもあり、日々充実してる。
もちろんブラックな側面もあるが、それはどこの環境でも起こりうることであり、そこまで気にしていない。
それよりも自分自身の経験を生かすことができ、生徒とともに成長できるこの環境に大変満足している。
教員にならなかったらMIEE(マイクロソフト認定教育イノベーター)として活動することもなかったし、このようなnoteで発信することもなかったと思う。
人生はどこで転機が訪れるか分からない。
教員になるという選択をしたから
今の人生が豊かである。
よく言われることだが、選択を間違えるとかなく、
選んだ方を正解にするように努力することが大切だと感じる。
教員として人生を選択したのでその選択が最高だ!
っと胸を張って言えるようにこれからも充実した毎日を送っていきたい。
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