【短編小説】じゃんけんの後出しを許さぬ妖怪

 浩平は困惑していた。
 なにしろ、妖怪なんて初めて見たのだから。
「さっきの友だちとのじゃんけん、おぬしは後出しをしておったな。許さぬぞ」
 ぼさぼさの髪とぎらついた目、そして三本の腕を持つ奇妙なその妖怪は、戸惑う浩平に対して厳かに言った。
「後出しをしなければじゃんけんもできぬとは。最近の小学生はなっとらん。『ぺなるてぃー』を受けてもらおう。人生のあらゆる場面で、後出しされ続けるという呪いじゃ」
 妖怪は三つの手をそれぞれグー、チョキ、パーの形にした。そして、何やらむにゃむにゃと呪文を唱えていたかと思うと……浩平が何か言う前に、それらの手をこちらに向けたのだ。
「カーッ!!!!」
 何か魔法の光が指先から放たれたり、目の前が真っ暗になったり、そうしたことはまったくなかった。浩平は自身の手のひらを眺め、服の上から体をぺたぺたと触る。
(なんともない……)
 そう思って浩平が顔を上げると、もう先ほどの妖怪の姿はどこにもなかった。
 
――――――――――
 
 体はなんともなかったが。
呪いによって、浩平の生活は一変してしまった。
「それ、俺が先に描こうと思ってたのに」
「え」
 図画工作の時間だった。浩平は校庭の隅に落ちていた犬の糞を描こうと思い、近くの草の上に腰を下ろしたのだが……あとからやってきたクラスメイトに文句を言われたのだ。しかも、彼は浩平と並んで絵を描くわけでもなく、文句を言うだけ言って、スケッチブックを片手に去っていった。ただただ後味の悪さだけが残った。糞の匂いも、急に気になりはじめた。
 
 給食の時間もそうだった。早く食べ終わった浩平が、ご飯のおかわりと一緒にマヨネーズの小袋をもらって席に戻ってくると……隣の席のとある女子に言われてしまったのだ。
「私が欲しかったマヨネーズとった」
「え」
 彼女も先ほどのクラスメイト同様、それ以上は何も言ってこなかった。けれど、せっかく作ったマヨネーズかけご飯は、味がしなかった。
 
 そして、掃除の時間。
 早く終わったら早く遊びに行けると思い、浩平は頑張ってホウキを動かした。自分が一台のお掃除マシーンになったつもりで、教室を隅々まで掃き終えた。
 しかし、掃除を終えた浩平に対し、先生は言ったのだ。
「今日のお掃除はベランダもやってもらおうかな。ついでだから」
「え」
「それから、先生の机も拭いてくれるかな。早く終わったから、ついでってことで」
「え……え……」
「ああ、そうだ。トイレ掃除もやっちゃってほしい。今日はたまたま、担当の子たちが全員お休みだから。ついで……そう、ついでにね」
 先生はとても上機嫌な様子で、とても邪悪なことを言う。
 先に言ってくれたら、こんなに必死になってやらなかったのに。
 浩平は不満を抱えながら、しぶしぶ追加の掃除を行った。ベランダと先生の机とトイレ――全部一人で掃除した。
 
――――――――――
 
 授業も、給食も、掃除も。あらゆることが後出しによって台無しにされている気がした。
 これがきっと呪いの効果。
 放課後、浩平はしょんぼりしながら帰り道を孤独に歩いていた。
 
「……ふふふ、なかなかしんどそうじゃのう」
「あ、お前は……!」
 人気のない道を浩平がとぼとぼと歩いているときに、またあの妖怪があらわれた。3本の腕を器用に組んで、妖怪は笑う。
「自分の後出しが、自分に返ってきたわけじゃ。自らの罪深さを思い知るがいい」
「こんな生活やだよ。後出しなんてもうしないから、呪い、はやく解いてくれ」
「なるほど、反省したようじゃな。ならば解呪の方法を教えてやってもよい」
 妖怪はグー、チョキ、パーにした手を風車みたいにぐるぐると回す。
「呪いを解く方法はただ一つ。ワシとじゃんけん一発勝負をして、勝つことじゃ」
「簡単だな! え……でも一発勝負……?」
「そうじゃ。もちろん後出しは禁止。勝てば呪いは解けるが、負けたら一生そのまま。どうじゃ、チャレンジするか?」
 浩平は、すぐには答えることができなかった。
 しかし呪いを自力で解く方法はないのだから、どのみち、勝負をする以外にない。
「……分かった、やるよ」
「よい心意気じゃ」
 妖怪は満足げにうなずくと、指を鳴らし、首を鳴らし、腕を回し……最後に十五本の指を器用に組み合わせると、腕をねじり、片目で拳の隙間をのぞいた。由緒正しいじゃんけんの儀式である。これは強敵かもしれない。
 浩平はごくりと唾を飲んだ。普通に考えたら、腕が三本ある人はじゃんけんも二本腕の人より強いはずだ。そんな相手に戦いを挑まなければならない。正面からぶつかっていくのは得策ではない。
 だから浩平は、からめ手を使うことにした。
 妖怪が三本の腕を、まるで太極拳の使い手のようにゆらりゆらりと動かす。その構えを見ただけで、すさまじいじゃんけん力を感じ取ることができる。
 だから、浩平はすぐに仕掛けた。
 最初の一発で勝負を決めることにしたのだ。
「では行くぞ」
「うん、いつでもいいよ」
「覚悟はいいな? それでは……じゃん、けん、ぽん!」
「じゃん、けん、おらあああ!!!!」
「ぐわあぁああああああ!?!?!?」
 浩平はグーで、妖怪の顔面を思い切りぶん殴った。三本腕のその妖怪は、鼻を押さえて後ずさる。彼は涙目になっており、鼻血も流していた。
「こ、こら……! 暴力はいかん!」
「殴っちゃいけないなんてルール、聞いてない。後出しするな」
「っ……!」
 妖怪は押し黙った。浩平の考え出した完璧な作戦に対し、反論できない様子だった。
 残る心配は、妖怪が逆切れしだすことだったが……幸い、そこまで理不尽な相手ではなかったらしい。妖怪はしばらく地面を見つめ、考え込んでいたかと思うと……流れる鼻血もそのままに笑い出したのだ。
「グハハハハ! うむ、見事じゃ!」
 妖怪なだけあって、笑い声も豪快だった。彼は浩平の肩をバシバシと叩く。三本の腕でかわるがわる叩かれて、少し痛かった。浩平は思わず目をつぶった。
 
 そして目を開けると、妖怪の姿はどこにもなかった。
 浩平はそれから死ぬまで、二度と後出しをしなかった。