【短編小説】人間の肉、ナメクジ、そしてサメ

「みなさんにお配りしたのは、大昔に生息していたホモ・サピエンスという生物の肉を使ったミートボールです。クローン技術によって再現しました」
 広いすり鉢状の講堂の中央で、髭を生やした賢そうなナメクジが言った。中央を見下ろす形で円形に並んだ座席には、ナメクジたちが真剣な面持ちで腰かけている。それぞれの机には皿と、小さなミートボールが置かれていた。
 
 現在の地球の支配者であるナメクジ――その大科学会議の席であった。東西南北、あらゆる国の科学ナメクジたちが一堂に会し、その研究成果を発表するのである。
 
 科学ナメクジたちは、少し警戒しながらも、結局は皿に出された肉を食べはじめた。原始のナメクジとは違って、進化によって手にした7本の触手をうねうねと使って肉を口に運び……もぐもぐとそれを味わう。
「うん、それなりにうまい」
「少し硬いような気も……」
「ソースと合いますな」
 聡明な科学ナメクジたちは思い思いに感想を述べる。もちろん彼らは一般ナメクジとは違うので、ミートボールを味わいながらも科学的探究心を忘れはしない。一人のナメクジが、フォークに突き刺さったミートボールをじっと眺めてから、発表者の髭ナメクジに質問した。
「このミートボールを……いや、ホモ・サピエンスを食べていたのはどんな生物だったのでしょうか」
 
「それはまだはっきりとは分かっていません。一説によれば、ホモ・サピエンスは原始的ながらも文明を築いていたため、被捕食者にはならなかったのではないか、と……」
 髭ナメクジは慎重に言葉を選んで答えた。
「ただ、実はごく最近、新たな発見があったのです。映像をご覧ください」
 髭ナメクジがリモコンを操作すると、講堂の中央に立体映像が映し出された。それはホモ・サピエンスの大腿骨の化石であり……恐ろしい傷痕が残っていた。
「これは……歯型、ですか?」
 一人のナメクジが発言する。髭ナメクジは肯定した。
「おっしゃる通り。これはサメの噛み痕です」
「サメ?」
「そうです。サメこそが、ホモ・サピエンスの天敵だった可能性が浮上してきたのです」
 髭ナメクジはそう言って、講堂内をぐるりと見回す。ナメクジたちはやや困惑した様子で、互いに目配せをした。
「サメが天敵、ですか」
「しかし、ホモ・サピエンスは陸で生活していたのでしょう?」
「サメと遭遇する機会など、そう多くはないのでは?」
 当然の疑問が、科学ナメクジたちから噴出する。髭ナメクジは厳かにうなずいた。
 
「いかにも。みなさまの疑問はもっともです。なぜ海洋生物であるサメが、陸上で生活していたホモ・サピエンスの天敵たりうるのか。その疑問に明快に答えてくれるような、合理的な仮説はこれまで存在しませんでした。しかしこちらをご覧ください。考古学者が最近発見した、ホモ・サピエンスが描いたと思われる絵です」
 髭ナメクジがまたリモコンを操作すると、大腿骨の化石の立体映像は消え去り、代わりに一枚の絵が表示された。それは、長方形の箱のようなものに描かれた……牙をむき出しにしたサメの絵だった。
 
「破損の激しい部分は、コンピュータによって復元してあります」
「これは……!?」
 科学ナメクジたちの動揺が、ざわめきとなって講堂内に広がっていく。無理もない。そこに描かれているのはただのサメではなく、空を飛ぶサメだったのだから。地上で逃げ惑うホモ・サピエンスたちの姿も見て取ることができる。
 
「空を飛ぶサメ……?」
「バカな、そんなものがいるはずがない」
「ホモ・サピエンスが空想を絵にしただけではないのか?」
「もちろん、その可能性も考えました。他の画像もご覧ください」
 髭ナメクジはさらに映像を切り替える。今度は立て続けに、複数のサメの絵が3Dで表示されていった。どれもこれも、科学ナメクジたちにとっては未知との遭遇。彼ら彼女らは恐れおののいた。
 
「陸を泳ぐサメ、宇宙を泳ぐサメ……」
「それだけではないぞ。山のように巨大なサメ、頭が複数あるサメ、サイボーグのサメ、ゾンビのサメ……」
「なんということだ……」
「恐ろしい……」
 
「お分かりでしょう? 古代のサメというのは、我々の常識が通用するものではないのです」
「たしかに、これなら陸に生息するホモ・サピエンスを捕食できる」
「ホモ・サピエンスの天敵は古代のサメ……」
「このミートボールは、サメが味わっていたのと同じもの、というわけか」
「そう考えると印象が変わりますな」
 科学ナメクジたちは再び進化触手を使ってミートボールを口に運んだ。彼らは食事をしながら古代の人類、そしてサメに思いを馳せ……活発に意見を交換する。
「もぐもぐ……肉を再現できたということは、ホモ・サピエンス自体を蘇らせることも可能なのではないですか?」
「それは慎重になるべきでしょう。もぐもぐ……たしか、争いを好む種族だったらしいという論文が出たばかり」
「殺し合いは日常茶飯事で、……もぐもぐ……平和なときも『すぽーつ』と称して戦争の真似事をしていたようです」
「飼育環境には細心の注意が必要でしょうね」
 
「……ホモ・サピエンスの復活。たしかに、肉が再現できたのですから生きたまま蘇らせることも可能かもしれません。しかし、私が今興味を抱いているのは、実はこちらの方なのです」
 髭ナメクジは、科学ナメクジたちの議論が一段落したタイミングを見計らって切り出した。髭ナメクジが進化触手で指し示す先は、例の立体映像――サメの絵である。
「サメ、ですか?」
「文明を築いていたホモ・サピエンスではなく、サメに興味が?」
「そうです。ホモ・サピエンスに似た霊長類なら現代にもいますが……これらの古代サメに似た種は存在しません」
 
「まあ、たしかにそうですな」
「空を飛ぶサメが現代に生きていたらえらいことです」
「しかし、ホモ・サピエンスの残した『サメえいが』と呼ばれる謎のデータと、我々の遺伝子組み換え技術を用いれば、巨大なサメも、空を飛ぶサメも、陸を泳ぐサメも、頭が複数あるサメも、ゾンビのサメも、蘇らせることができるはず」
「なんと……!」
「で、ですが危険はないのですか……?」
「ホモ・サピエンスの天敵だったようですが、それは彼ら彼女らの科学が未熟だったからです。当時のホモ・サピエンスより数段進歩している我々の敵ではありません」
「なるほど、たしかに」
「古代のロマン……」
 科学ナメクジたちはとたんに色めきだった。科学ナメクジは一般ナメクジとは違って損得では動かない。彼ら彼女らは常に自身の好奇心を優先して行動する。今回も、未知なるサメをこの目で見たいという欲求が膨れ上がり、その他一切の懸念を塗り潰そうとした。
 
 しかしながら。
「うわああああああああああああああ!?!?!?!?!?!?」
 講堂内にナメクジたちの悲鳴が響き渡った。突如として壁が粉砕され、巨大な何かが乱入してきたのである。それは流線形の胴体と、ひれ、そして鋭い牙を持っていた。頭が六つあり、海洋生物の鱗を持っているのに、空中を飛行したり、床や壁の中をまるで水中であるかのように泳いだりすることができた。
 
 それは、サメであった。
 陸を泳ぎ、空を飛び、頭が複数ある巨大なサメ――ホモ・サピエンスの天敵である!
 
「ぐあああああああああああああああ!?!?!??!?!?」
 陸海空を制する多頭のサメに襲われ、ナメクジたちは逃げ惑った。鋭い牙にとらえられれば、その柔らかい体はなすすべもなく引き裂かれた。体液が飛び散り、悲鳴と怒号が混ざり合う。
 
「そんなバカな……いったいどこからあんな化け物が……!?」
「実験生物が逃げ出したのか……!?」
「まさか、このミートボールと同じように……クローン……!?」
 混乱しながらも、科学ナメクジたちは状況を分析しようとする。しかし、彼らの推測はすべてはずれていた。人類は滅んだが、サメは滅んでなどいなかったのだ。わざわざクローン技術で蘇らせるまでもなく……今も昔も地球の真の支配者は、サメなのである!
 
 科学ナメクジたちの研究発表の場は、一瞬にして地獄と化した! 恐るべきサメがナメクジたちを食い散らかし、食い散らかし、食い散らかす……!