【短編小説】四月馬鹿インフレーション

「社長、今年のエイプリルフールは一味違いますよ。本物のマンモスを用意しましたから」
“案内人”の男はそう言って、手元のリモコンを操作した。すると壁が左右にスライドし、薄暗かった応接室に気持ちのいい陽光が射しこむ。
 壁が取り払われたことで、床から天井まで届く強化ガラスがあらわになった。“案内人”とともに強化ガラスに歩み寄ると……その向こうには見渡す限りの草原が広がっていた。
「見えるでしょう? マンモスはあそこです」
 ジュリは案内人が指さす方に目を向けた。たしかに、この建物からそう遠くない位置――牛くらいの大きさの象がとことこと、草を踏み分けて歩いている。いや、象というには毛むくじゃらすぎるし、牙がジェットコースターのレールみたいにカールしすぎている。
 あれがマンモス。
 失われたはずの太古の生命。
 目の前の強化ガラスには、「マンモス:気候変動により1500年前に絶滅」と表示されていた。
「思ったより小さいね」
「完全再現すると大きすぎて、公園内に放すことができないので。遺伝子操作で小さめにしました」
「そうなんだ」
 ジュリはうなずき、あらためて草原を見渡す。キリンの親子が悠々と歩いているのが遠くに見えた。他にもさまざまな動物が生息しているはずだが、肉眼でとらえることはできなかった。動物たちは用心深い。
「……でも、本物のマンモスを用意しちゃったら、もう嘘とは呼べないんじゃないかな」
「そのあたりもきちんと会議を重ねまして。公式見解では、これは嘘であると解釈することに決まりました」
「ふぅん」
「サーベルタイガーも作ったのですが、やはりマンモスの方がインパクトがあると思いまして、エイプリルフール企画にはこちらを採用しました」
「それは映像で見たよ。図鑑に載ってるのと違って牙がなかったけれど」
「危ないので取りました。飼育員の身の安全が第一なので」
「なるほど」
 ジュリは納得した。というか、あまり興味がなかった。「株式会社サファリ桃源郷」の社長として、承認のサインをする必要があるものの……正直なところ、エイプリルフールにマンモスを使おうがサーベルタイガーを使おうが、どちらでも良いと思っている。
 エイプリルフールの「嘘」の競争は、年々激化の一途を辿っている。去年はどこかの企業が、エイプリルフールのためだけに自社ビルを解体し、地球の裏側に1日だけ移転していた。どこまでもどこまでも「嘘」がインフレしていく。マンモスという絶滅動物を引っ張り出してきても、SNSでバズるところまでいくかは分からない。
「……ああ、社長。ちょうどいいですよ、あちらをご覧ください」
 案内人の男の声を聞き、ジュリは顔を上げた。見ると、マンモスが歩いているのとは反対の方角に――別の動物が集まってきていた。人間に似ているが、体は毛に覆われていない。代わりに、葉っぱで作った衣類をまとっていた。
「あそこに座り込んでいるのはホモ・サピエンスです」
 案内人がそう言うと、ジュリの目の前のガラスには、「ホモ・サピエンス:2000年前、戦争によって絶滅」という解説が表示された。
ホモ・サピエンスたちは輪になって地べたに座り、ぼーっと宙を眺めている。
「あれもエイプリルフール用に?」
「ええ。クローン技術で作ってみたものの、インパクトが弱かったので没になりました」
「なんだかぼんやりしてるね。ホモ・サピエンスは知能が高いって話じゃなかった?」
「賢すぎると危険なので、脳の一部を取りました」
「そうなんだ。……マンモスの絶滅はホモ・サピエンスよりあとなんだね。逆かと思ってた」
「昔は逆だと言われていたのですよ。しかし最近の研究で、ホモ・サピエンスの絶滅後も、どうやらマンモスは生きていたらしいと分かってきました」
「へぇ」
 ジュリはガラスに触れ、ズーム機能を使ってホモ・サピエンスの姿を拡大してみた。全部で4頭――すべてオスの個体らしく、赤銅色の顔の半分ほどが濃い髭に覆われている。目の焦点は合っていない。
 そもそもエイプリルフールという文化も、もともとはホモ・サピエンスのものだったらしい。それが、ホモ・サピエンスたちの文化を取り入れて楽しむ「ルネッサンス運動」によって現代に蘇ったわけである。ホモ・サピエンスは自滅の道を辿った哀れな種族だが、文化に関しては学ぶことが多い。
「ホモ・サピエンスについては、まだまだ不明なことが多いのです。我々と違って、彼らは日常的に嘘を吐いていたようですが……それなのになぜ、一年に一度『嘘を吐く日』を設けたのか。その謎はいまだに……ん?」
 案内人は眉をひそめて言葉を切った。彼はジュリの前の強化ガラスに――そこに映し出されたホモ・サピエンスの拡大映像に視線を向けていた。
 ホモ・サピエンスたちは1頭を除いて、ぼんやりと宙を見つめているが……1頭だけは、木の枝を手にして地面をひっかいていた。どうやら絵を描いているらしい。さらに拡大すると、腕を天に掲げた女性の絵だと分かった。
「……ああ、やはり。『自由の女神像』ですか」
 案内人は笑った。特に注意を払うべきことではないとでも言いたげな、軽やかな笑いだった。
「かつてアメリカと呼ばれた場所にあった建造物で、現在は半分以上が砂に埋もれています。脳の一部を取ったホモ・サピエンスは、なぜかみなこの絵を描くのですよ」
「そうなの。不思議だね」
 ジュリは拡大映像をじっと見つめる。ホモ・サピエンスのオスは、その後もしばらく「自由の女神像」を描き続けていたが……やがて木の枝を力なく取り落としてしまった。彼はまたぼんやりと宙を見つめはじめる。他の個体と同じように、思考を奪われた愚かな動物として。
 ホモ・サピエンスたちはその後、いつまでもいつまでも、何もせず、何事もなさず、ただ呼吸と鼓動だけを繰り返していた。むなしく、繰り返していた。