【短編小説】ゴールデンウィークだし、世界征服しよう

「世界征服したい」
 2人でぼんやりとテレビを眺めていたときに、唐突にヒナが言い出した。ユウイチはテレビ画面からヒナに視線を移し、テレビに目を戻し、そしてもう一度ヒナを見た。
「世界征服」
「うん。せっかくのゴールデンウィークだし」
「そっか。普段はできないからね」
 ユウイチは納得してうなずいた。たしかに、手間のかかることをするのは仕事に追われていないときに限る。合理的な考えだと思った。
「何から始めるの?」
「分からない。私、初心者だから」
 ヒナはリモコンを手の中でくるくると回した。口をへの字にして少し考え、壁際の本棚に視線を投げる。次の瞬間、パッと笑顔の花が咲いた。
「そうだ、ハウツー本を買いに行こう。世界征服の」
 そう言い終わる頃には、ヒナはリモコンを放り投げてソファから立ち上がっていた。あっという間に身支度を整え、お気に入りのバッグを手に玄関に向かう。
 ユウイチは笑ってテレビを消し、彼女のあとに続いた。
 
 
 
「世界征服本は、どの棚にあるんだろう?」
 自宅から徒歩圏内にある、小さめの書店。落ち着いたBGMの中、立ち読み客や楽しげな親子連れ客の横を通り抜けつつ、2人は目当ての本を探していた。小説や漫画本コーナーは素通りする。世界征服はフィクションではなくノンフィクションだから。
「ビジネス書のコーナーかな」
 そんなふうにあたりをつけて、ヒナはずんずんと進んでいく。普段は縁のないコーナーだったけど、彼女はあっという間にビジネス書の棚を発見した。他ジャンルの2倍くらいはありそうなスペースがとられており、触れたら崩れてしまいそうなほどに、ソフトカバー本がうずたかく積まれている。表紙には、有名らしいどこかの社長が腕を組んだり、ろくろのポーズをしたりしている写真が目立っていた。
 ヒナは体を左右に揺らしながら、右から左まで棚をチェックした。ユウイチもユウイチで、熱心に立ち読みにふけるスーツ姿の男性をよけながら、ずらりと並ぶ本たちを眺める。自己啓発本がこれでもかと置かれているけれど、肝心の世界征服本は影も形もない。
「ないみたい」
「ここじゃなかったか」
 ユウイチが言うと、ヒナはくるりと踵を返した。本棚の整理をしている最中らしい女性店員さんに、声をかけた。
「すみません」
「はい、なんでしょう」
「世界征服に関する本は、どこに置いてありますか?」
「世界征服本ですか。それならアウトドアですね」
「アウトドア。そうなんだ、ありがとうございます」
 ヒナはぺこりと頭を下げてから、ユウイチの方を見た。狭い店内なので、「アウトドア」と書かれたプレートを見つけるのに苦労はなかった。プレートの近くまで行くと、山の写真や川の写真や海の写真が表紙に使われた本が平積みされて、両手を広げてバイタリティに溢れた読者を待ち構えていた。ビジネス書ほどではないにしろ、人気コーナーであることが見て取れた。
 世界征服本は、そうしたアウトドア本とともに何冊か並んでいた。
 
『7日でできる世界征服』
『世界征服は話し方が9割』
『学校では教えてくれない世界征服』
『世界征服は見た目が9割』
 
「見た目と話し方、どっちも9割なんだって」
 背表紙のタイトルを一通り眺めてから、ヒナが首を傾げた。
「計算が難しいね。どういう理屈なのかな?」
「著者同士の意見が合わないのかもしれない」
 ユウイチは『世界征服は話し方が9割』という本を手に取り、ぱらぱらとめくる。大きな文字で二行くらいの格言(?)が書かれているだけのページが大半で、余白の目立つ本だった。
「それぞれが、自分の信じる道を進んでるんだと思う」
「すっごく世界征服っぽい」
「そうだね」
 ユウイチはうなずき、本を元の場所に戻した。ヒナは『学校では教えてくれない世界征服』を棚から抜き出し、興味深そうに表紙を眺める。中身を読もうとはしなかった。
 
「……この本にする」
 本を手に取っては棚に戻し、手に取っては戻し……を繰り返したあと。ヒナは1冊の本をユウイチに見せてきた。
「すごく分かりやすそう」
「たしかに」
 ユウイチは同意した。彼女が選んだ本は――『初バンジーの前に読む本』。平積みされて、この「アウトドア」コーナーでもひときわ目立っている本だった。表紙の写真は、笑顔の女性が橋の上から身を投げている瞬間だ。
「バンジージャンプか。せっかくの連休だし、いいかもね」
「そうそう。次はホームセンターに行かない? ロープを買わないと」
「そうしよう」
 ユウイチが賛同すると、ヒナは満足そうに『初バンジーの前に読む本』を胸に抱き、レジに向かって歩き出した。ユウイチは世界征服本たちを一度だけ振り返ったけれど、結局手には取らずにヒナのあとを追った。バンジー用のロープは高いだろうか、とか。予約は必要なんだろうか、とか。そんなことをぼんやりと考えていた。