【短編小説】ゾンビにも生存権がある
困った。
朝起きたらゾンビになっていた。
俺はベッドから起き上がり、鏡をじっと見つめた。肌からはすっかり生気が抜け落ちており、目は死んだ魚のように濁って、口はだらしなく開いてよだれが垂れている。ひどい猫背で、まっすぐ立とうとしてもうまくいかない。そして移動の際は、両手を前に出した奇妙な格好で、ゆっくりと歩くことしかできなくなっていた。
(いきなり体が腐ったりはしないんだな)
その点は、俺はホッとした。
とりあえず、今日は平日であり、高校に行かねばならない。俺は自室から出て準備をすることにした。階段を下りるのにやたら苦労したが……なんとかリビングに辿り着くことができた。
そこで、俺は絶句した。リビングの床には血まみれの父が倒れており、母がその肉をむしゃむしゃと食べているところだったのだ。母は俺に気づいてゆっくりと振り返る。母はゾンビになっていた。表情はうつろなまま変わらず、何を考えているのか見当もつかない。
おまけに。
「うー……」
「あー……」
俺も母も、言葉を発することができなかった。これではまるで話が通じない。相手がゾンビになる前の記憶を有しているのかどうかも不明だった。
どうすればいいのか分からなかったので、俺はひとまず、父を食べている母のことは無視することにした。前にだらりと出した手で、テーブル上のリモコンをポチリと押し、テレビをつける。どのチャンネルでもゾンビ化に関する緊急ニュースが報じられていた。
――うー……。あー……。
ゾンビ化した女性ニュースキャスターが何か言おうとしているが、あいにく、まったく伝わらない。彼女の言葉の代わりにテロップが表示された。
「ゾンビ化現象拡大中。非ゾンビ化市民による暴行にご注意ください」
(……? どういうことだ?)
俺は一瞬、そのテロップの意味が理解できなかったが……直後、続きが表示されて合点がいった。
「ゾンビに対する暴行が各地で発生しています」
なるほど。
ゾンビ化したからといって、基本的人権がなくなったわけではない。非ゾンビ化市民がゾンビ化市民を攻撃すれば、当然、犯罪である。ニュースキャスターはゾンビたちが理不尽な暴力を受けないように、注意喚起を行ってくれているのだ。
俺はあらためて、母と、血まみれで倒れている父に目を向ける。よく見ると、命尽きた父はその手にゴルフクラブを握っていた。あれで母を殴り殺そうとしたのだろうか。ゾンビ化したからといって、実の妻を殺そうとしたのだろうか。
だとしたら、父に対して同情する必要はまったくない。
正当防衛の結果、父は死んだ。そして朝食の代わりになったのである。
「うー……」
テレビでは、非ゾンビ化市民がショッピングモールに立てこもっている映像が流れていた。しかも、おびえて震えているというわけではなく、彼らは武装していた。ショッピングモールの大きな窓からは、ヘルメットをかぶり、鈍器を手にした人間たちの姿がチラリと見えた。
ゾンビ映画でよくあるように、奴らは徒党を組んで俺たちを殺そうとしているようだ。
「きゃああああああああああああ!?!?!?!?」
映像が切り替わり、今度は悲鳴を上げる非ゾンビ化女性が映し出されていた。その絹を裂くような声を聞きつけ、武器を手にした男たちが集まってくる。子どものゾンビが逃げようとするが、走ることができないらしく、すぐに追いつかれてしまった。
男の一人が金属バットを振り上げる。そこで映像が切り替わり、ゾンビ化ニュースキャスターが映し出された。
俺の胸には、人間に対する怒りの感情が渦を巻く。
ゾンビになっただけで殺される。あんな小さな子どもまでが殺される。
俺はテレビを消して自室に戻り、ベッドの上のスマホを苦労して操作した。SNS上には、ゾンビ化した市民たちの助けを求める声が溢れていた。同時に、団結を求める声もちらほらと上がりはじめていた。
襲ってくる人間を倒さないといけない。ゾンビのみんなで協力して、身を守らなくては。
まさに戦争だ。
ゾンビと人間の戦争が始まったのだ。