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論理式をビジュアライズすれば良いのかもしれない.

意味不明なタイトルに思えるだろうが,けっこう大真面目にマスアートと教育のことだ.


マスマティクスをアートにするために

キャッチーなので肩書きをマスアーティスト(math artist)としているが,自分でもマスアートの輪郭を掴みきれておらず,ましてその制作方法は全然分かっていない.
一応マスアーティストの定義を「マスアートを探求する者」ということにして整合性を保っている.


何がそんなに難しいのかと言えば,単なるグラフは,如何にすればアートとなるのかが分からないのである.


そこで,そもそもグラフを作らなければいいのではないか,というのが一つの発想である.

考えてみれば,“数式”をビジュアライズしたものがグラフなのであって,であれば“数式以外のもの”をビジュアライズすればグラフにはならない.
※「数式を」と「ビジュアライズする」という二要素において「数式を」の方のみを変えることを考えているのは,とりあえずビジュアルアートを作ることを目標としているからである.


数学で“数式以外のもの”なんて何があるの,と思うかもしれないが,そういえば僕の専門は数理論理学であり,扱うのは“数式”ではなく“論理式”だ.
当然,論理式をビジュアライズしてもグラフにはならない.

さらに,数理論理学は集合論と密接に関わる.
集合論は,それそのものをビジュアライズすることが可能だ.(“集合論”なんて知らないと思いますが,思い出せる方は“ベン図”を思い出していただければイメージできるかと… 思い出せない方(or知らない方)にはゴメンナサイ,この段落は無視して大丈夫です


数式ではなく論理式をビジュアライズするという話だと,主に出てくるのは“数字”ではない.
どうしても,“数学”という表現に違和感があるため,見出しでは“マスマティクス(mathematics)”という表現を使っている.


ここまでがアートの側面の話.
ここからが教育の話.


numberless math

“numberless math”という言葉(造語?)がある.
日本語に直すと,“数字のない数学”だろうか.

数学において数字が重要なファクターであることは間違いない.
しかし,本質ではない.

mathematicsを数学と訳すのが大いに誤解を招くと思っているので,あえて訳さずにマスマティクスと表現することがある.
僕が“数学アート”ではなく“マスアート”と呼ぶのも,それが理由だ.


教育としてのマスアートのために,数字を捨てる

教育におけるアートの役割としては,子供に自由な発想を与えるということが重要だ.

アートには正解がない.
ゆえに,大人も子供も対等になることができ,共に学ぶことができる.


そのような意味で“既存のフレームワーク”というのは邪魔でしかないが,“数字”は,数学上のフレームワークを与えうる.


数字に頼らず,マスマティクスの概念に触れるというマスマティクス教育が重要で,その意味において論理式によるマスアートというのは有効であるかもしれないと思うのである.

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