shogo

math artist

shogo

math artist

マガジン

  • #人生を豊かにする数学

    #人生を豊かにする数学 のハッシュタグをつけた記事をまとめたマガジン

  • 塾現場から,子どもの教育について想う

    塾現場で働いた経験の中から,家庭内で役立つ内容を実体験に基づいてお届けします. “子育て論”一般について僕なんかが言えることはほぼ無いですが,こと“教育”に関しては,実例に基づいて伝えられることがあるんじゃないかと.

    • #人生を豊かにする数学

    • 塾現場から,子どもの教育について想う

最近の記事

  • 固定された記事

記事が増えてきたので整理します(※全記事を網羅しているわけではありません) / ※最終更新:2023.01.23

今イチオシの記事 人気記事TOP3 数学関係 マスアート関係 教育関係※各200円の有料記事はコチラ↓↓ 高額記事

    • 数学をやってないと自分でいられない.俺は俺を極める.

      「なぜかこの人の前だと自分の話をたくさんしてしまう」という人は数人いるが,基本的には僕は自分のことを語るのが好きじゃない.というより得意じゃない.特に,自分の内面を語るのは苦手だ. そういう意味で,昨日今日の記事はけっこう珍しい気がする. 今日は,よく聞かれる「数学の何が好きなの?」という質問に対すること. 適切に答えられたことのない質問. 聞かれるたびに何かしらの答えを絞り出すが,どれもズレている気がしている. そんな違和感をいつも抱えているが,ふと思い出したことがあ

      • 「“あの人”に恥じない自分か」を意識してる.「“あの人”に認めてもらえる自分か」には興味ない.

        僕にとっての“あの人”というのは,例えば恩師である.あるいは,ライバルと思える友達である. 「今の自分がいるのは,この人がこの言葉をかけてくれたからだ」と思える人.あるいは,近しい距離にいて,「今この瞬間も自分と同じかそれ以上に努力をしているだろう」と思える人. そのような人に対して,僕は恥じない自分でありたいと思う.(そこまで思える恩師が2人,友達が1人いる.) 一方で,その人に認められたいと思うかと言えば,それは全く思わない. 誰かに認めてもらうにはその人に理解しても

        • 定義の妥当性は解り易い.公理の妥当性は,

          何らかの定義を作るとき,その定義対象の存在が証明できるならば,その定義は妥当であると言える. 一方で,公理はどうだろうか. 存在することを証明する必要がないのだから,原理上は「なんでもあり」である. しかし,“妥当な公理”と“妥当でない公理”は確かに存在する. そもそも,公理とは何であるか. 公理とは,ある数学体系の基礎となる,証明不要の命題である. 言い換えると,ある数学体系における,あらゆる命題の仮定を担っている. 例えば,一つの角の大きさが30°である直角三角

        マガジン

        マガジンをすべて見る すべて見る
        • #人生を豊かにする数学
          shogo
        • 塾現場から,子どもの教育について想う
          shogo

        記事

        記事をすべて見る すべて見る

          思考はどの向きに流れるのか,あるいは流すべきなのか

          今日は結論の無い雑記. 例えば縦書きと横書き. どちらの方が思考に良いのだろうか. 日本では文系の書籍は縦書き,理系の書籍は横書きというのが主流だ. しかし「文系思考には縦書きが適しており,理系思考には横書きが適している」ということはなく,単なる慣習に過ぎないだろう.あとは,縦書きでは数式が記述できないということもあるかもしれないが. プログラミングのコンソールは,縦にセルが並ぶ.一方,Excelでは縦横にセルが並ぶ. そもそも用途が異なるので,一概に比較することはで

          「NFTはブロックチェーンを知らないと理解できない」って言う人,エンジニアでも目指してるの? みんな背景知識に依存しすぎ.

          何か新しいことを学ぶとき,既存の知識を活用するのは良い. しかし,過度に頼ろうとすると,全く未知のことが学べなくなるし,歪曲して理解してしまうリスクが高まる. 簡単なことに難しいことを混ぜるな最近特に気になっているのが,所謂“web3界隈”の人たちの一部が言う「NFTを説明しようとすると,ブロックチェーンから話さないといけないから時間がかかる」などと言う言葉. 真っ赤な嘘だ. ほとんどの人にとって,NFTを理解するのにブロックチェーンなんて知らなくていい. ブロックチェー

          証明なしに存在を認めるのが“公理”,証明により存在を認めるのが“定義”.

          公理と定義は,いずれも議論の前提となる命題だ. その意味で,この二つは似ていると言える. 例えば,定理・補題・系などのように,話者の意図によってのみ使い分けられるタームがある. では公理と定義はその類のタームかと言えば,それは違う. 公理と定義は明確に異なる. 公理は“証明不要の命題”である. 自明だから証明不要なのではない.真であると勝手に決められている命題が公理である. 一方で,定義というのは“存在することが証明された対象にタームあるいは記号を割り当てること”であ

          発信が多ければ応援したいと思うわけでもない

          ※この記事は僕の友達の何人かを否定するような内容になるが,あくまでも僕の個人的な意見であり彼らを否定しているわけではないし,彼らが間違っていて自分が正しいと主張する目的があるわけでもない. 発信者が増えた現代だが,発信する目的は人それぞれだ. 「応援してもらうために発信する」という人も少なくない.非常に良いと思う. しかし,「応援してもらうために発信を増やす」というのは,個人的にはあまり意味がないと思ってしまう. 例えば仮に,noteで毎日発信している人を見つけたとして

          類比と比喩は以て非なるもの.クリティカルな違いがある.

          類比はロジックの一種であり,思考の道具である.比喩はレトリックの一種であり,説明の道具である. 類比は理解主体が自分であり,比喩は理解主体が他人である. 難しいことを簡単に説明することには慎重になる.本来難しいことを簡単に表現してしまうと,多少なりとも語弊を含むと思うからである. 特に注意が必要だと思っているのが,“比喩”による説明である. しかし一方で,僕は思考過程において“類比”を使うことは多い. 僕は,“類比”は好んで使うが,“比喩”を使うときには慎重になる.(使

          「定義する」ということは,「∃という命題を主張する」ということであり,「存在を認める」ということ.

          例えば「一つの角の大きさが90°の三角形を直角三角形という」と言われて納得しない人はいないだろう. 一方,「一つの角の大きさが180°の三角形を直線三角形という」と言われたら,は?となるだろう. この違いはなんだろうか. 答えは簡単で,直角三角形は存在するが直線三角形は存在しないということだ. 定義というのは,実はその定義対象が存在するという命題を含意する. そうでなければナンセンスである. ゆえに,定義されたものは存在することが示されたものであるから,その系において市

          腑に落とす

          「解った」とか「解らない」という表現ではなくて,「腑に落ちた」とか「腑に落ちない」という表現を好んで使う. 「解る」と「腑に落ちる」の間に,語の意味として厳密な違いがあるかは知らない. ただ,個人的には「腑に落ちる」は「解った」上で更に血肉となっている印象があり,僕はそのような意味で使い分けている. ところで最近,数学の勉強の仕方を勉強しようと思い,その類の本を読んだ. ハウツー本で,特効薬的な派手な方法を紹介する本は基本的に信用していない. この本は,地味で確かな方法

          プログラミングを学ぶより,数学を学んで抽象概念に親しんでおいたほうがいいと思う.

          ※この記事で述べることは100%本音であり,また,極力フラットな事実に基づいて書くが,数学専門の人間が「数学を学ぶべき」と主張しているため,少なからずポジショントークになってしまうことを断っておく. プログラミングを学んでも仕事にならないプログラミング教育の必要性が叫ばれて久しい.プログラミングの勉強をする意義は,様々論じられているが,「プログラミングができる人材は将来職に困らない」という要因が挙げられることも少なくない. この点において僕は以前より懐疑的な意見を持ってい

          “量化子”により世界を記述できるのか考えている.肝は“条件”.

          数学は自然科学を記述する言語と言われる.自然科学とは,自然界を研究する学問である. 言い換えると,世界は数学で記述できるということではないだろうか. また,数学における命題はすべて“量化子”を用いて記述できることが知られている. ということは,量化子により世界を記述できるのではないか,ということが考えられる. そもそも“量化子”って何さて,いい加減「量化子ってなんだよ」という人のために… (厳密には不完全だが)少し噛み砕いた例を挙げると,「日本人は礼儀正しい」というと

          中途半端なビジネス知識が危険

          キンコン西野さんが今日投稿した記事↓ 全社会人が知るべきことだと思うので,是非とも全員読んでいただきたいのだが,一つ引っかかったことがある.それは, という部分. 普通の社会人なら,引っかからない部分かもしれない.「たしかに,いつもの仕事でそうなりがちだ…」となるのかもしれない. だが,おそらく小学生で「掃除の人を雇って、サイトを管理する人を雇って…」と考える子供は一人もいない. 「人を雇う」なんて発想は出てこない. 要するに,「仕事って普通こういうもんだよね」とい

          テキストメディアには高度な読解力が求められるようになるかもしれない

          テキストメディアの流れとして,昔は「理解できないのは読者の読解力の責任である」という考えが主流だったらしい.昔の文豪たちの書く本が難しい理由の一つである. 一方,現代ではむしろ逆で,「理解できないのは著者の文章力の責任である」という考えが主流だろう. この変化の背景には,テキスト発信者が増えて競争が生まれ,解りやすい文章を書かなければ読んでもらえなくなったということがあると思う. しかし,今後はどうなるだろうか. 文章を読むのが得意でない人は,そもそもテキストメディアでは

          学習塾を株式会社的な組織が運営することに限界を感じる

          “株式会社的な組織”の定義まず前提として,“株式会社的な組織”を以下の二つの特徴を持つ組織として定義しておく. 組織の利益の一部を受け取る存在(※株式会社における株主)が,運営者(※株式会社における社長)とは別で存在する 永続的な成長を目指す ゆえに,例えば社長が100%株主の会社などは「株式会社であるが株式会社的ではない」ということになる.(あくまで,この記事内における定義) ぼくは経済に詳しくないので間違っていたら訂正していただきたいが,株式会社的な組織は上記のよ