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同値類が解るということ

岡潔は数学を研究する中で興味の対象が“数学”から“数学がわかる人間”へと移っていったらしい.

最近は岡潔の文章を読むことが多いせいか,俺もいくらか興味が出てきた.


養老先生が面白いことを言っていた.
曰く,人が考えることは結局,元々人の中にあるものらしいのだ.

これはおそらく,岡潔の言葉を借りるなら「懐かしい」ということなんだと思う.

わかりやすい例が,比例.

赤ん坊は次にハイハイを始めます.一歩動くと,目の前の椅子の脚が少し大きく見えます.
(中略)
わざわざ習わなくても,脳は比例を知っています.

『ものがわかるということ』養老孟司 著


元々脳の中にある概念を考え出しているに過ぎないということ.


そうすると,例えば比例はみんなの脳の中に元々あるように思える.
しかし,他の概念はどうだろうか.

例えば,言語についてはどうだろう.

言語学者の言語感覚に従う説が正しい説とされるならば,「言葉が解る」とは,「言語学者の言語感覚を知る」ということになる.
本当にそれでいいのだろうか?


学校で習う母語の文法が腑に落ちないとき,果たしてその概念は「みんなの脳に元々ある」と言っていいのだろうか.

これは難しい問題で,「結局は言語感覚という主観でしかない」という考え方もあるだろうが,一方で言語モジュールという説もある.


さて,話を数学に戻す.

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