香山の29「カーネル・パニックⅢ」(47)

「論点を明瞭にしてもらえるかい」
 ここでようやく明が真剣になりはじめた。やはり、柴田隼人の言ったように彼は私より頭の回転が遅いらしい。作者である彼は、自分で作り出した存在のつむじからつま先までを語ることが可能で、そうであるから神なのだった。
 成人に遅れて後ろから歩く幼児を見るとき、その知能の遅れを感じて、愛撫することもあろうが、それは、愛撫と嘲笑とがまじりあう感情として表出している。そんな風に、明を半ば蔑む気持ちを伴って話を再開させた。
「俺達が殺してしまった男、柴田隼人は、俺達が住む世界の創造主なんだ。
 書物を嫌うお前でも、小説や映画のようなものが虚構と呼ばれ、それが現実とは別の次元で動くことぐらいは知っているだろう。あくまで虚構は現実より低次の存在であるからね。虚構が存在するためには、筋書きを組み立てる人間がいなければならない。彼らは、自由自在に物語をあやつる権利のある存在なのだ。
 そこで、こんなことが可能になる。
 フィクションの中の人間が、観客側に向かって話しかけてくる演出や、自分達がフィクション内にしか存在しない認識がなければ成立しないような演出をするのだ。急に舞台を暗転させ、あからさまな演出を為した『古畑任三郎』、『このままじゃあ、面白くないですよね?』とカメラ目線で話す『ファニー・ゲーム』、作者と会話をする『銀魂』。……絵が浮かぶようだよ。
 これらはなべてメタ・フィクションと呼ばれる技法だ。フィクションであることを強調することで、観客には興奮を与えることが、興味を与えることができる、画期的な技法だ。しかし使い方を一歩間違えれば、観客は興ざめする危ない綱渡りさ。
 お前はきっと受け入れることができないのかもしれない。しかし、これが真実である以上は、受容するしかない。どんな状況にあっても真実を自分に取り込む姿勢が、魂の健康を保つ秘訣だ。しかし良薬は口に苦し、お前もいつかは俺のように煩悶に直面する」

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