香山の27「カーネル・パニックⅠ」(45)

 姪浜駅のロータリーに車を乗り入れ、私は明に別れを告げたが、彼はその挨拶に沈黙で答え、助手席にとどまった。そして長いこと口を閉じたあとでその胸の内をさらけ出した。
「香山、お前はやはり変だ」
「何が言いたいのか」
「自由がどうのこうの、と話しただろう」
「そうだとすれば、それがどうして変になるのかね」
「どうして、ときたか」
 明が怪訝な顔をして、手の施しようがない、というようにそっぽを向いた。
 私は、彼が気にかけていることが何たるかに気づいていた。私が内に抱える罪悪にまつわる葛藤が、あらゆる決心を鈍らせていて、それを明は感じとったのだ。
 私はそう予測して、相談する具合で話すことにした。しかし、人には自分でも分からない自分というものが存在する。今の私もまさにそうで、自分を苦しめるものが何なのかが分からない。四つの窓で喩えるのなら、「他人から見える私」であることを祈りながら、本題に入ることにした。個人がひた隠しにするその皮を裏返して、そこに書いてある文字を読んでもらうようなものだった。
「申し訳ない……実は、俺も自覚はしている。本当に、自分がやっていることが正しいことなのか、分からなくなってしまった」
「それは人間ならば普通のことだろう。安心したよ」
 と、彼は流そうとした。
「待て、お前はまだ理解していないようだ。俺は……自分のために人を傷つけたり、殺したり、なんてもう苦しくてたまらないんだ。それにきっと、こんな事態をこれから先も、仕事を続ける限り免れない。貫一の配偶者がきっと次の敵だ。もう……」
「頭を冷やしてよく考えるんだね。これ以上は付き合っていられない」
 根幹を何も理解しない明がハチロクから出ようとした。私はすがる思いで彼の袖を引っ張った。よせよ気持ち悪い、と明が突き放そうとした。
「ちょっと、待ってくれ……」
「待つ分にはいいが、俺はお前に性欲を発揮できないよ。すまないけど、俺はヘテロセクシャルなんだ」
 私は噴き出して、語調を整えながら言った。
「何を言うんだ。俺が言おうとしているのはそんなことではない。俺はおかしくなってしまったんだ。……おそらく、あの臨死体験じみたもののせいだと思う」
 話を聞きながら彼は座席に座り直し、私の言った内容を言い換えた。
「なるほど。死にかけて、命の尊さというやつを理解した、と。現実とは皮肉なものだな」
「そうかもしれない」
 一旦はこう言ったものの、自分の返答には確信をもってはいなかった。彼の発言に違和感を覚えたからだ。さらに問題なのは、その所感の正体が全く不明であったことだった。明がにやつきながら言った。冗談めかして人をおちょくる顔だった。
「香山、もしかしてお前、薬をやっているのかい」
 私は明の突拍子もない質問に驚いた。冗談じみたことを口にされ、心外に思った。
「荒唐無稽な。どうしてそんなことをきくんだ」
「仕事に支障が出るから、もしそのつもりが少しでもあるのなら、やめるように諌言させてもらったがね」
 相手の言うことは、理解せずに呑み込むものではない。かみ砕いてその味を確かめなければならないのだ。ところが回想してみても、そんな記憶が見つからない。とすれば彼の発言が何を意味しているのか、全く理解できなかった。彼は『諫言』というへりくだった表現を用いたために、私に対して殊更無礼をはたらくつもりはないらしい。では、『薬』、とは何かのメタファーなのか? だとすれば、それは一体何を暗示しているのか。
 彼は笑っていた。やはり、私の話を茶化すつもりらしい。
 私は口をぽかんと開いたまま、彼の言葉の意味をたどった。すると私が呆気にとられているのをいいこととして、ここぞとばかりに彼がつらつらと饒舌に話し続けた。

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