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一話完結

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#短編小説

火蠅

 真黒のフォルクスワーゲンのゴルフGTIはある民家と民家との間に停車され、まばゆいハイビームが切れると車は夜闇にすっかり溶けた。エンジンが停止され、一分も経たぬうちにあるつがいの男女が降りてきた。二人は言葉を交わさずに歩き、川べりの草原に腰かけた。何かから許しを乞う彼らは、秘め事を保とうと人目を怖れている。ある日結ばれた小指に秘めた約束はまだ二人の外に誰かの知るところではない。嫌う喧騒を逃れ、しが

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 船旅に喩えるならば、明りに手が届きそうなほど灯台に近づけたとしても、その灯台ごと消滅したのであれば潔く次の灯台へと漕ぐしかない、と人は信じている。この点については、坂本京介も例から漏れない。彼にも会いたいと願っても会えない人が何人もいるし、会ったところで互いが話題に窮することを心得ていたから、虚しく努めることはしなかった。いざ決別の話題が上がっても、自身の精神を健康に保とうとして、抗おうとは思わ

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